昨年の病気の際には、ここの皆さんにも多大な心配をかけました。
何せ、連絡する体力、気力。まして、スマホの充電器がないというナイナイつくし。
特別な連絡も取らず、友人からの、しばらく連絡ないけど?というTELがかかってきて、
説明すると驚かれるという状態でした。
年賀状を書くにあたって、1人だけ、教えておいた方がいいと思う友人に、一筆、付け加えました。
「4度の入院、3度の手術」の小さく添え書きしました。
絶対、TEL来るよなぁ❗️来ました。「何?何?どうしたの?」
彼女は、中学一年の時の一番仲良かった友達。ご主人、中3の時のクラスメイト。
これは後で知ったこと。仙台を離れてからは、付き合いなし。
仙台に戻った時、ひょんな縁で復活して、旦那こみでよく飲み歩いた友。
中学の同窓会の役員に引っ張り出された縁。何せ、ベビーブームのための新設学校で、
どんどん街が開発されていったこともあり、大マンモス学校。
一学年、500〜600人という状態の上、進学校で力が入っていたから、生徒同士の付き合いが少ない。
一緒に役員になった同期の他の人は、「初めまして」という状態。彼女だけが知っている人でした。
でも、みんな気が合ったのですよね。一番のグループになって付き合いました。
私が離れて、1人は亡くなり、この頃、会っていないと言っていました。
そして、息子が亡くなった後、9ヶ月後、彼女の息子さんも亡くなりました。
病気の話をして、彼女の近況を聞きました。
お互い、数ヶ月後には、後期高齢者になる年齢。
あちらも負けずに病気していました。
ご主人、ペースメーカー入れたそうです。
「障害者よ。最初、ショックだったみたいだけど、高速料金が半額だから、色々出かけている」
「この前、無料になるところに行ったら、私のこと、付き添いですか?って聞くの。
付き添いも無料になるっていうけど、私の方がヘロヘロしてて、付き添いって恥ずかしいから、違います」
って、笑っていた。
お肉やお酒、減らせって言われてるらしいが、我慢してもつまらないって……
そういう話になる年なのですね。
彼女の息子も、うちの子より一つ上だから、33で亡くなって、もう直ぐ50になる年です。
「でもね、小さい時のいいことしか思い出さない」「おじさんになった姿は、想像できない」
お互い同じ気持ちなのですね。
もう今年は、16年経ちます。仏教的には、17回忌。いない暮らしにも、慣れたというか、
粛々と営みは続いていきます。
きっと、あちらも落ち着いた暮らしをしていることでしょう。
あなたたちが、まだ呼びにこないので、もう少し、こちらの暮らしを楽しみます。
待っててください。