もうすぐ姑の命日が来ます。親戚もいないし、法事もないから、忘れていました。

散々な思いをさせられた姑の恨みつらみ。書き捨てます。無視してください。


とにかく、わがままで自己中の人でしたが、親戚付き合いもなく、非常識でもなんとかなってきた人です。

義父がなんでもできた人で、歳の差もあったので、明治生まれなのに何もできないまま歳をとった人でした。


義父が生きているうちは良かったのですが、義父が亡くなると息子である夫にへばりついてきました。


あること、ないこと嘘を夫に言いつけて、被害者顔をしました。

夫も最初それを信じて、私に怒ってきましたが、ある時、その嘘に矛盾が見えて、嘘がバレました。

しかし、嫌がらせは止まらないままの同居は続きました。


ある日、友人の花屋さんと話をしていました。「うちも年寄りがいるから」

「花屋というのは葬儀屋と繋がっているから、その時はうちに連絡ちょうだい」そんな話をした日。

その午後、歩く義母をみんなが見ていました。スーパーに買い物に来ていたそうです。

だいぶ前から、ボケの症状が出ており、「食いボケ」で、「食べさせられない」といっては、

買ってきて、隠れて食べるようになっていました。


その日、夕食も終え、早く帰ってきた夫が、お風呂に入るよう、部屋を覗くと、亡くなっていました。

しっかり夕食も食べたのに、スーパーで買ってきたとんかつ3枚。一枚完食。一枚目の前で、ナイフで切って、

食べている最中。もう一枚、そのまま。おにぎり2個。置いてあり、箸を持ったまま、

後ろに寄りかかるように生き絶えていました。

すぐかかりつけの医師に連絡を取ったところ、運良くいてくれ、来てくださり、死亡確認してくださいました。

心臓麻痺。苦しんでもいない。


しかし、病院で亡くなったわけではないので、私が布団を敷き、着替えをさせなければいけないのですが、

夫は、もう「僕はダメ」ということで役に立たず。とにかく、電話かかえて、色々連絡係させました。


まず、昼間の話を思い出し、花屋さんに電話をかけました。それは、お盆の初日。

花屋さんは、とんでもなく忙しい日。仕事終わって、みんなで食事に行っていて、連絡が取れない。

携帯もない時代。彼女たちも、まさか冗談を言った日になくなるとは思わないから、やっと連絡がついたのが、10時過ぎ。

それから、葬儀社への連絡をして、すぐ飛んできてくれた。

ご近所さんが総出で手伝ってくれました。


身内もいないし、私の親兄弟は役に立たない。よりも、腹が立つ。

すぐに夫から連絡をしてもらったが、次の日、父から、私から連絡が来ないと、訳のわからないことを言われる。

そして、継母の勝手な都合で、すぐには来られないと、神奈川の我が家にまっすぐくればいいのに、

千葉の姉のところに行ってから、姉たちと通夜ギリギリに現れた。来ても、お客様然としている。

そして、その夜千葉に戻って行った。金曜になくなり、土曜通夜。日曜告別式。

8月土日のお盆の葉山。道路状況。無理でしょう。泊まれる部屋はあるのに、帰って行った。

案の定、次の日、時間に間に合わない。お手伝いしてくれたご近所の方にも、挨拶もしない。

義母は自分の妹を連れてきて、ずっとおしゃべりしていた。


そして、義母の悪友連中。鎌倉の小銭持ちのマダムたち(ババァ)麻雀をするのです。

週1〜2回ほど、1人の方の家で昼夜出前取って、賭け麻雀。月一くらいでタクシーで箱根に二泊三日の麻雀旅行。

皆さんはお金あるけど、うちはない。しかし、麻雀は人数必要だから、誘われる。

ある時、借金までさせていた。「息子さんの会社名言えば貸してくれる」と金融会社まで紹介していた。

その後全て精算して、貸さないようおふれを出した。

通夜の席に、7名夫の前に現れた。何か話していた夫が私を呼んで、「一万袋に入れて」と言った。

「借金?」と聞いた。

その7名からのお香典。7名連名で、一万円。類は友を呼ぶですね。

彼女たちに香典返しをしたくないから、寄付をして、香典返しなしにしました。


まだまだ、すごいエピソードありますが、お葬式に笑い話はつきもの。


しかし、気付くのが早かったら、救急車、入院。など、たとえ何日かでも大変だったでしょう。


最後に、たった一つ『嫁孝行』してもらったのかな?