今から30年くらい前、すごい豪雨にあったことがある。

宮城の田舎(仙台から50キロくらい)に暮らし、息子は仙台の高校。

夫が、予定外の特命で断れない状態で、本社に逆単身赴任。

私は、子宮がんの手術からまだ一年たたない時期。


9月の秋分の日の三連休の前の日。

その日、病院に定期検診。片道60キロ。帰り道、大丈夫と医師に言われた言葉も嬉しく、

気持ちよく車を走らせた。綺麗に澄み切った秋の空。青空が眩しい。

ラジオの地元局が、全ての番組を飛ばして、臨時で、放送している。

地域的にすごい雨になっており、学校によっては、学校内に、生徒を待機させていると言う。


家に帰り、ちょっと昼寝しようと思ったところ、息子から、全ての交通機関がストップしているとのこと。

迎えに行くが時間が読めない。場所を打ち合わせ、時間がどれくらいかかるかわからないと言って、家を出る。

三連休だから帰ってくると言う主人に連絡を取ったら、他を回って直帰するとのこと。

まだ携帯のない時代。連絡が取れない。


とにかく家を出る。真ん中あたりで、雨が降り出した。大きな道に行こう。

ラジオからは、相変わらず、各学校からの連絡が続いている。

街の中に入って、この先にアンダーパスがあることに気づき、他の道に回る。

そんなことを何度も繰り返しながら、無事、息子救出。何時間かかったのだろう。


夫のことを息子に話し、駅の中を探す。新幹線は、上を走っているため、予定通り到着したらしい。

呼び出しもかけたが、まさか探しているとは思わないから、現れない。

家を13:30くらいに出て、息子は、16:00頃かな?20:00頃には、諦めて、とりあえず家に戻ることにした。

その頃には、通れない道が増えてきて、警察などの人が総動員されていた。


そのとき、ラジオでは、個人の連絡を受け付けて、放送していた。一晩中。

「友達の家に泊まる」と言う、子供から、親への連絡。「○○町のおじさんの家に行け」と言う親から、子への連絡。

地方都市って、すごいなあと思った。

まだタクシーしてしてなかったが、道が低いとか、高いのはわかったから、なんとか家に帰れた。

ほぼ、通れた車の最後のようだ。その後、通行止め‼️

12:30頃家に着いたと同時に、夫からTEL。電車の車両を開放するので、そこで休むと言う。

明朝、迎えに行く打ち合わせをして、やっと、1日終わった。


次の朝、夫を迎えに行く。大きな道路。バイパスなどは、周りより高くできている。

道路の両側の街が、半分水に使っている。走れなくなった車が乗り捨てられている。

無事、夫と巡り合い、家に帰った。

3度の仙台往復。まっすぐの道ではない。2日で、500キロ以上走った。


人生で最大の困難だったが、この頃思う。

雨が降り出してから、溢れるまでの時間がとにかく短い。あっという間に、水が溢れる。

逃げたり、避難できる時間がない。

だから、今回も、降らなくても、降ったら怖いから、買い物すら行けなかった。

整地や排水設備、何が問題か、今手を打たないと、被害がどんどん増えるのでしょう。