幼馴染とラインしていた。

大正末期?昭和初め。何もない場所に2軒だけあった。

どちらの家も曾祖父母、祖父母。どちらも一人息子の私の父と、ちょっと年下のおじさん。

そして、同じ年の私たち。ずっと一緒に、遊び学校に通った。

中学から違う学校に行くようになり、会う機会も減り、私が家を出てからは、

完全に会うことがなくなった。ある日、子供を連れて里帰りしていた時、

門の前で花火をしていた私たちに前の家から、大声で名前を呼ばれた。

空白の時間など、関係なく元のようにおしゃべりしたり、会ったりするようになった。


今朝から、ふっとおしゃべりが始まった。あちらは家族がいるから、ラインでやりとり。

この前の話である町の名前が出た。


子供の頃の街の名が、最初、○丁目。となった。そして町村合併が進むと同時に、街の名前が変更され始めた。

東京、横浜などの大都市は、あまり変わらないが、近郊の新しく出来た街は、新しい名前がついてくる。


私たちの記憶は、70年前。仙台市の話である。

古い記憶の片隅をほじくり返しながら、○○ちゃんのところは、☆☆町?♪♪町?

そんなことをやりとりしていくと、あの頃の街が浮かんでくる。

時代だから、戦後、急ごしらえした町。住宅街があった。

その後、高度成長でどんどん、奥に住宅地ができていった。

そして、名前まで変わる。

伊達藩の由緒あった町の名前が、日本中同じ、中央○○丁目。本町、光が丘、旭ヶ丘。

味気ないですね。

木町、鍛冶町、肴町、寺町には、元寺小路、新寺小路。

行かなくても、わかりますね。


タクシーをしていると面白いことに、昔の通り名の方がわかることが多い。

ひどい時は、元○○、建物なんてないのよ。

仙台に「うなり坂」横須賀に「尻こすり坂」面白い名前があります。


小学生の時の家を思い出し、町の形を思い出しながら、やりとりしていました。