私の母と祖母は33歳で亡くなった。

女の厄年である。何か、その年を乗り切る

まで怖かった記憶がある。


今、私は72。何か嫌なモヤモヤがあります。トラウマ?

鎌倉で当時にしては多い年金と貯蓄。息子からの仕送り(1人でくらしてあげているのだから生活費をよこせ!」

悠然と暮らしていた義母。

しかし、72の時、突然

、そっちに行くから迎えにこいと言われた。2LDKのマンションである。1番いい部屋を開けた。

痛いということもなかったが調子悪そうなので、病院に行った。

手のつけようのない「胃がん」だった。痛いという感覚がないということはもうボケていたのかも。

40年以上前だから、告知せず、「胃潰瘍」と言い、医師も、あけてだめならそのまま閉じますということにした。


医師が頑張った(無理しなくていいのに)全部摘出して、「こんなにすごいのだから絶対転移してるでしょう」

症状出てから治療しましょうと言った。


手術後2日目には食事が出ないと周りを困らせ、家に帰ってもワガママ三昧。

がんとは知らないから、鎌倉の家に帰ってやる。全ての金を嫁が出せと言ってきた。

私も意地で、息子預けて働きましたよ。鎌倉の家も整理して、同居という話になった。

いろいろ準備し

ているうちに、入るお金をあてにして使い込んでいた。

鎌倉あたりの小金持ちババァたちと麻雀をする。週に二回くらい。

朝から始まって、夜遅くまで、夜10時頃、主人に迎えにこいとTELが来る。他のメンバーもおくりながらだから、

仕事から帰って、着替えも食事もしていない夫が行く。夫が帰るまで私も待つ。

途中私も、年取って強くなって、自分で帰ってきてくださいと言えた。

月に2~3日箱根あたりにタクシーで往復して、旅館に泊まって麻雀してくる。

普段でも、満単位。箱根は桁が違う。

麻雀は人数が必要だから、息子の名前たろせばお金貸してくれると入れ知恵するばばぁ達。

必死で広いところを探して、同居。お金の計算が狂ったが、頑張った。

年金から食費と言ったら、余らないといい家事せず、子供におもちゃもお年玉もなく、

家事もしないで自分のパンツを平気で出す。がん関係なく79で亡くなった。


もう一つ、私の父が72で亡くなった。これはまた、続きにしましょうね。