11月になると、年賀欠礼ハガキが舞い込むようになる。
流石にこの年になると、友人の親の世代の方は、あまりいなくなり、
ハガキも少なくなってきました。最近は、主人の友人関係のが届きますが、
多くの方が「家族葬」になりました。
今年、主人の友人が亡くなりました。
家族葬だったと言うことで、「御供え」を送るだけにしました。
そして、奥様から話を伺ったところ、あの狂ったような暑さの8月だったとのこと。
亡くなった方も86。普通の葬儀をすれば、参列する友人たちもその辺りの年齢。
時期的にも無理ということで「家族葬」にしたとの事。
正直ホッとした。やはり、季節関係ないとはいえ、暑い、寒い時は辛い。
数年前、私の親以上に親身になってくれた先生が亡くなった。
担任されなかったクラスの人たちも、私たちの仲間に入って、集まるようになり、
相当数の人に、慕われました。
大人になって、みんな、年賀状を出すようになりましたが、
ある年から、来なくなりました。みんなから、私に様子を聞いてくれるよう連絡が入りました。
確認をして、お元気だがすごい数の賀状を書くことが困難になったと聞いた。
そして、数年後、11月にハガキが一斉に届きました。
皆がお線香をあげに行きたいというのを、相手のご家族に大人数で伺ったら迷惑と抑え、
会の連絡費があったので、「一同」として、それなりに送りました。
私は、個人的にもお世話になっているのでその他に「お供え」を送りました。
後日、面識もあるご子息様からお電話をいただきました。
私たちの騒ぎでもわかるように、慕う教え子が多すぎる。
そして、90過ぎた先生。息子さんも校長まで勤めて、退職した元教師。
参列者の数。すごいことになることは明らか。
そして、高齢の奥様もいるということで「家族葬」にしたという。
納得する話である。
ある時、葬儀社の方とお話をすることがあった。
高齢の方が亡くなり、葬儀の準備になると、田舎から出てきており、
田舎には、もっと高齢のご兄弟がいるという。
電車や飛行機に乗って、あの東京の駅を移動する。無理な話である。
聞けば行きたいというだろうが、何かあってもということで知らせない。
他の家族も、代表で1人だけ来る。そんな話を聞いた。
天涯孤独の私には、本当に親しい人にだけお別れして貰えばいいと思い、
息子の時も、夫の時も、戒名も、お経もなし。お顔見てもらって、お別れして、骨拾ってもらって‥
それだけ。でも、満足しています。思いっきり、2人で一晩一緒にお話ししましたから。