江戸時代の大きな街道からすく入ったところ。ないもない土地に我が家と隣の家が建った。
わたしたちから見て、そう祖父母。祖父母。生まれての男と子。どちらも一人息子。5歳違い。
嫁いできた私の母は、お隣の叔父さんと同級生だった。祖母同士は一つ違い。
こんな2軒、まるで親戚?のようで、2軒だけの通り道があっだ
先日お隣のお爺さんの祥月命日だった。60年経つのである。
親も亡くなり、長女の友が未だみんなの墓参りをしている。
私たちは全員覚えているし、可愛がられた。
その日は、あたしも友も、学芸会で帰りが遅かった。
親も行っていた。隣の家には、お爺さんと、7歳の孫がお留守番していた。
あの時代3日ほど、自宅安静にして亡くなるケースが多かった。
その老人と孫だけの時に、お爺さんは倒れた。意識もなく、言葉もない。
今のように、電話もなく、救急車を呼ぶ術も知らない。
7歳の子は、咄嗟に、我が家に走った。うちのお婆さんに、精一杯、状況を話した。
今でも「あのときは偉かった」と話題になる。怖かったろう‼️
パニックになっただろう‼️うちに来たのはいい反応だった。
ご近所さんが、学校に迎えにきた。11月薄暗い中、途中で話を聞いて急いで帰った。
今のように、会館で型通りのお葬式が当たり前になってきましたが、近所中の主婦が白い割烹着で、お手伝いをした。
友が私のお婆さんが全て采配を振るっていた。と思い出しました。
計算したら、そのとき祖母は、60さい。まだまだ動ける年ですね。すごいおばあさんだと思っていたから。