近道、抜け道。人生の‥‥などと大層な話ではありません。

本当に抜け道。


このところの台風の話から、生まれた時から一緒の幼馴染と話していると、

古い色々な記憶が湧いてくる。70年の思い出が2人で出してくるのだから、

すごい話が出てくる。


台風や大雨が来ると、舗装されていない道路は、低い地には水が溜まる。

今の「アンダーパス」とはやや違う。小川や田んぼの水があふれ、

子供の長靴は、「ガッポ、ガッポ」と水没してしまう。

車の通れない小さな木の橋のところもある。


学校は、地域ごとに子供を集め、大人がついて、相当遠回りして家に送り届ける。

そんな話をしていると、普段色々な道を回って家に帰っていたのを思い出した。


歩道もない、舗装もされていない道路に、車も走るようになってきていた。


学校の行き帰り。ある薬品工場の敷地を抜けて通っていたのを思い出した。

普通の胃腸薬や目薬とか作る会社ではない。

今思うと化学薬品を作っていたと思う。大きなドラム缶などが転がっていたりした。

会社も、車の方が危ないから、通学路として開放してくれていたのだろう。

裏口から入って、表門から抜けると、すごいショートカットであった。

しかし、高学年になった時、やはり、危険と気付いたのだろう。

通行禁止となり、裏門が閉鎖された。考えれば、長閑な時代ですよね。


もう1箇所。大きなお寺があった。そこも裏門から入って中を抜け、立派な山門に出る。

これもあたりまえの通路だった。


ここもある時から、宗派の集まりが増え、しょっちゅう集会が行われ、人が溢れていることが多くなった。

やはり、通りにくく、正規の道路を回るようになった。


友人の家は、我が家との行き来がしやすいように、裏口があった。

いまになって、彼女が言っていた。知ってる人は、そっと通り抜けていく人がいた。

それから、普通の住宅地にも関わらず、相当奥の方に豚を飼っている家があり、

いちど遁走(豚が)して、裏木戸をぶち破って通り抜けて行ったことがある。

私たちは、絵本の豚のイメージであったが、それは大きく、走りも早く、相当の距離を逃げたらしい。

それが、その後どうしたかは知らない。


街がゆったり作られていたのでしょうね。


話は違うが、知らない土地に引っ越してしばらくすると夫に言われた。

「お前は、人が仕事してる時、何してるの」しらない道をいろいろ覚えて、走りまわっいるから!

いい加減に走って行き止まりになったら戻ればいいから!

頭の中で、この道は、この前走った道に出そう。そんな、ノネズミみたいにうろついているのは、

幾つになっても変わらないのだろうか?