実家は、仙台の街中にあった。父方の曽祖父が田舎から出て、我が家の基礎を築いた。

明治、大正昭和と、生きていく中で、たまに仙台に用のある親戚には、日帰りは無理な話だった。

しかし、優しい祖父母は、全て受け入れて、家に泊め、何代にもわたって面倒を見てきた。

祖父母も、よく面倒見たものと思う。


だからこそ、その田舎の冠婚葬祭には、祖父母が呼ばれた。

私だけが連れていかれ、みょうに親しく付き合うようになった。


冠婚葬祭の時は、ほかにも、煮たような年頃の子供たちがいた。楽しく何日か過ごした。

なれてくると、もうお客様ではない。今になって思う。物々交換だったのね。


その家のおばさんが豆の入った袋を渡す。あそこの豆腐屋さんに行ってきて。

えぇ〜。お金は〜?


大丈夫‼️大丈夫‼️


恐々いくと、きちんとお豆腐をもらえる。


面白いね。きちんと手間賃込みなのだろうが、それで成り立っていたのね。

今、ご近所からの頂き物で暮らしていると、突然昔のことを思い出した。