昨日、4月25日、18年前、福知山線脱線事故の起こった日である。

事故の関係者に知り合いはいないけれど、忘れることのできない事故である。


この日、首都圏の電車が朝から止まった。「横須賀線」「東海道線」そのほかも、情報がないまま、

混乱していた。鎌倉のお客様に呼ばれ、「駅まで」「鎌倉駅は動いていません」

横須賀線だけなら、大船に出て、「東海道線」に乗るか?「京浜急行」にしますが、

東海道線もダメ。どこが原因かもわからないという状態。

「どこなら動くの?」会社がいくら情報収集しても何もわからず。溢れた人も多い。


そのお客様は、成田に行く予定。飛行機の時間もあるし、結局、成田までお送りした。


帰り道、ずっと高速だし、お客様が乗ることもないので、普段点けないラジオをかけた。

9時過ぎに起きた事故の速報を流していた。一瞬、何が起きたのかもわからず、1時間半ほどの帰り道、

ずっと聴いていた。普通に仕事していれば、これだけの時間聞いていることはできない。


地元の街に戻ってきても、首都圏の混乱は続いていたようで、全ての車がいない。

それは、品川だか、横浜だか忘れたが、大きな架線事故で、ほぼ1日近く混乱したらしい。


他のドライバーは、地元のてんやわんやで、何も知らない。暇なら、情報も流れたのだろうが。


カーブでマンションに突っ込んだ?想像できない話である。しかしラジオだけでも、その臨場感、

その恐怖、伝わってきました。誰も関係者がいないこと祈りました。


家に帰り、初めて映像を見た時に、体が震えました。

18年前、私も元気で仕事していました。あれから18年、

あの時の若者は、立派は社会の中堅になっていたのだろうと、

もっともっと、やりたいことがいっぱいあったのだろうと思うと悔しい思いがします。