明日、先の震災から12年。仏事ごとでいえば、13回忌。
堤防の横に住んでいて、震災の10年ほど前に帰ってきた。
津波警報が鳴っても、数センチ。きっと逃げなかったと思う。
一昨年、温泉に行きたいという友達と、東北を歩き、
被災地を見てきた。
震災後、3〜4年目に行った時は、草一本生えていなく、
日本中のNo.を付けたダンプが行き交っていた。
今は、だいぶ整地され、道路もできつつあるが、
海岸線は、地盤沈下のため、家が建てられず、松並木も無くなり、寂しい景色となってしまった。
この建物は、小学校である。もともと、モダンな建物だったが、
今、家がなくなり、他の学校に統合されている。
今は、震災遺構として保存されている。
2階の上。屋根裏部分に、全ての生徒教師などが寒さに震えながら、一夜を過ごし、
1人の死者も出さなかったという学校である。
次の日のテレビで、ヘリコプターが福島方面から、北上していた。
この校舎を見た時涙が出てきた。
三陸鉄道などに比べ、常磐線は、上野ー仙台を結ぶ、長く海岸線を網羅する電車。
原発のせいで福島地域は手をつけられず。宮城県は海の横を走っていたため、
地盤の問題で同じところに線路は引けなかった。
だいぶ、内側に線路を引き直し、やっと開通した新しい駅である。


