少女時代、よく読んだ本でした。
私の父方の曽祖父は、大きな農家の本家の息子。しかし、家督ではない。宮大工になった。
そこからが我が家のスタート。曽祖父の記憶はないが、当時暮らした家は、自分で作ったそうである。
祖父母と家庭を作り、父が産まれ、戦争に行った。一人息子である。
戦時中の食糧確保と、祖父のルーツの血が騒いだのか、近所に4か所の畑を手に入れ、野菜を作った。
ご近所に売ったり、親戚に届けたりしていた。
家の真前の畑は、すぐ食べられる、トマト、きゅうり、とうもろこしなどをつくった。
そして、病気の母に代わって育てた私に対しては、「爺婆育ちは、三文安」と言われるほどの大甘に育てられた。
イチゴ食べたいといえば、前の畑に育てる。スイカ食べたいのいえば、裏庭に育ててくれた。
家は、100数坪あり、昔の家は、ど真ん中に立てる。裏庭には、桃、柿、梨などなど実のなる果物を植えてくれた。
表の庭には、私が欲しいという花を植えてくれた。
門のところに、赤いバラのアーチが欲しいと言った。
絵に描いたような日本家屋。門の内側に、アーチができた。赤い小さなつるバラと、
反対側には、山で根っこごと取ったアケビが絡まっていた。
鈴蘭が欲しいと言った時、大きな海棠とツツジの木の下に一面の鈴蘭を植えてくれた。
お友達も、今も覚えていてくれる。前の畑のとうもろこしのひげを、🌽洋子ちゃんと三つ編みにして遊んでも、
お婆さんには怒られたが、おじいさんは、笑ってみていた。
のどかだったのですね。一番の贅沢だったのかな。