この頃、どうでもいいお婆さんの家庭料理を、褒めてくださる方がたくさんいらして、嬉しい限りです。

そんな話をしてみようと思います。


実は、私のメニュー、夫の好みと若干違います。今自分の食べたいものだけ作っていますが、

息子は好きですが、夫は、好き嫌いが多い人でした。


祖母は、武士の家に生まれ相当の家に、行儀見習いに行かされたため、なんでもできる人でした。

小さいながら、それを眺め、いろいろ聞いて育ちました。


義父は、前に書いていますが、明治の終わりから、20年以上ヨーロッパで暮らしました。

まだ、20歳かそこらの若者が渡ったようです。いろいろな国に行きましたが、スイスがメインだったようです。

義父曰く、イギリスとスイスは食べ物がひどい。イタリアが一番美味しいと言っていました。

帰国後、上海で暮らし、戦後、進駐軍との取引をして、語学が数か国語できたことから、晩年、ホテルの支配人になりました。



しかし、仕事柄いいものを食べていたようで、舌は肥えていました。パン、チーズなどのこだわりはすごかったですね。

自分で見つけてくるのです。

ホテル引退して、80過ぎてレストランをやりたいと始めましたが、例えば、スモークサーモンなどのこだわりで選んでいました。

主人は連れて歩かれたので、外での洋食などは、すごくうるさかったですね。


しかし、義母は、まるで興味もなく、作ることも嫌いで

亡くなるまで包丁も満足に使えず、お惣菜を買うような人だったようです。


だから、家庭料理を知らずに育ち、魚は切り身の鮭かブリ、刺身はマグロだけ。

食べたことのないものは食べられない。頭、骨のある魚は食べられないという人でした。

結婚した時は苦労しました。牡蠣もフライなら食べる。生が嫌なのかと思えば、姿がダメ。


でも、「自分が勝手に食べないのだから、お前は食べたいもの食べなさい」と、

いわれ私と息子のテーブルは、まるで昔の家長の食卓のように、

酒の肴が並びました。


徐々に改善させて行きましたが、あまりお酒も飲まない人なので、好きなものしか食べませんでした。

息子は、先入観なく育ったので、頭のない魚は魚じゃないなんていうようになりました。

魚のカマや頭が好きという人間になってしまいました。


途中で気まぐれで暮らした田舎暮らしの時、周りは、全て漁師さん。いろんなお魚が届くようになった。

朝まで泳いでいた魚。サイズが小さい。傷がついた。というだけで、市場に出せないもの。

さすがの夫も食べられるようになった。まぁ、丁寧に骨は取りましたが。


その他にも、近くの漁港近くの魚屋さんとお友達になりいろいろ教わった。


私がお酒好きなことと、葉山に暮らした頃は、よく友人が集まった。

独身時代も、我が家が宴会場になっていた。

田舎にいた時は、主人の会社の人が毎週集まってきた。


そんな時は、前の日から、鍋をかけて置けるもの。

お金かけずに見栄えのいい料理。手間かけないで、スッと出せるもの。

元気でしたよね。今はもう無理ですが。


こんな暮らしが、50年も続けば、なんとかなるものです。

こんな拙い料理でも、喜んでいただけるのが嬉しいですね。