一昨日の、安倍元首相暗殺のニュース。思いも、言葉も、山ほどありますが、今、まだ形にできません。落ち着いたら、発言できるかな。
ただ、中曽根時代あたりを過ぎたあたりから、コロコロと首相も変わって、何もできなかった政治。
しかし、今回の選挙が、全て、弛んでいた結果ではないかと思う。
日程の報告なども、だらだら。投票用紙も、形式を変えられ、わかりにくかった。
今回の警備も、何か、ピシッとしていなかった。前は、一般聴衆の間に立った警備の人間は、はっきりわかって、緊張感があったように思う。
選挙活動も、制限されたせいか、テレビCMや、ブログの中に入ってくるCMうざかった。
しかし、選挙公報は、一枚もこない。立候補者すら知らない。街の看板も、車で通り過ぎるだけだから、誰も目に入らない。選挙カーも来ない。(田舎だから)
そういう時だけの知り合いからのハガキ。
いったいいつから使っているのかわからない名簿をもとに、5年も前に亡くなった夫宛のハガキの多かったこと。事務所も、杜撰なものである。
これから行っても、そこで名前を見て、それから考えなければいけないのだろう。
ここからは、私の完全なる意見であるが、元総理が撃たれて、まだ亡くならないうちに、病院に向かった奥様の服装は、準喪服のようなワンピース。「急で、普段着のまま」という記者もいたが、完全に皇室が御陵参拝に着るような鼠色。生きていると、願っていくのですから、私なら着ない。
わたしたちとは違い、あらゆるファッションが用意されているだろうから、今、その服はないと思う。
連絡を受け、急いで奈良に向かい、死亡確認。次の朝、6時は、奈良を出発。お昼には、東京到着。その間に、お友達の「神田うの」と、連絡を取ったと言っている。このスケジュール、精神的ダメージ、その中で、自分の名前出すことに一生懸命になる人間。
その夜に、小池知事が、自宅に弔問に現れた。まだ、通夜の予定も決まっていない、ご帰宅から数時間後に、喪服で現れる。
本来は「急だったので」ということで、喪服は着ない。さも、準備していたように思われるから。
そういう習慣も無くなって来たのですね。
今、即位の礼で、みっともないファッションを披露した奥様が、告別式で、どうなさるのか心配である。