コロナ以来、身内だけの葬儀となり、その流れで、家族葬や、小さなお葬式が主流となってきました。大きな葬儀でも、小さくても、会館やホールを使うようになり、昔のように、普通の家で行うことが少なくなった。

普通の家で行うからには、そのための、悲喜劇起こることがあった。

襖を外して、すごい時は、4〜50人泊まることがある。

葬儀まで日数がかかる場合など、毎日の食事を用意しなければならない。

不思議に、台所の司令官(❓)を頼まれることがある。

特に台所‼️面白いですよ。


①やはり、葬儀までの日にちがある昼ごはん。

かやくごはん(炊き込みご飯)を作ろうということになり、数名の女性陣が、材料を切り始めた。

牛蒡、油揚げ、椎茸、いろいろ切り終わり、合わせて、味をつけて煮込もうとしたが、にんじんがない。横で大学生の子が切っていた。

エスカレーターの女子校に通い、大学の時に、希望の学科には行けず、「家政科」に行った。皆、家庭科の先生になればいいと言ったが、中学校が荒れていた時代なので、過保護な親が、「襲われたら困る」と、教師にはしなかった。

その子が、まるで、数え歌のように、『一本の人参、切ったら2つ。また切って4つ。』という感じで切っており、まな板の上には、コロコロと転がる多数のにんじん。端から切って、手付かずで残っているならいいが、みんな、困り果てた。教えようとしたら、学校でこう習った。間違えてないと、強情を張る。家庭科教師にならなくてよかった。


②故人が子沢山。孫も、20代の子が10数名。葬儀まで4日。

ここも、身内だけで、すごい数。家庭放り出して、4日通った。

私は、直接関係ないので、知らんぷりしていたが、兄弟通し、従兄弟倒しの葛藤があるようで、大変なようだ。

みんな親元でぬくぬく暮らしているから、何も料理ができない。

しかし、1人の男の子がツーといえば、カーで、立派な片腕になった。

これをこうして、ああして、って、指示しても通じない。

その彼は、私の意図を汲み取ってくれるし、ある野菜(市場直送で不思議に揃っていた)で、こうしようという話がすぐにわかる。

そこは、親が離婚して、苦労して大学行っていたから、居酒屋と、お弁当屋でのバイトで、覚えたと言っていた。

その時に、偶然北寄貝が手に入ったので、身内の昼飯だし、北寄飯にした。一升窯で、5〜6個炊いた。

一度に食べられないので、子供からということになった。子供が食べ終わったあたりで、1人、空気が読めないことで有名な男が、子供の茶碗持って現れた。洗い物大変だから、息子の茶碗で僕もいただきます。普段役立たずが、抜け目ないなと後々の語り草になった。

まあ、今となっては、笑い話である。