先日、幼なじみとおしゃべりしていて、ある駄菓子屋さんの話になった。
駄菓子屋さんは数軒あったが、この店は、江戸時代の街道の峠だった場所で、大きな店だった。きっと、昔から商売してきたのでしょうね。普通にお菓子屋さんであり、駄菓子のコーナーがある。
奥には、茶店の名残のように、飲食できるスペースがあった。
普段は、お好み焼き。今の、大阪、広島のような立派なものではなく、アルミのカップに入ったタネをかき混ぜる。子供のお小遣いで食べられる、安いお好み焼きを自分たちで焼く。
そこは、夏になるとかき氷が始まる。お店で食べるのはもちろん。出前があった。お客様があったりすると、TELするか、子供が、走って注文に行く。
おか持ちに入れて、歩いて持ってきてくれる。溶けることなく、届いた。
東北だからなのか?いや、やはり、今ほど、暑くなかったのだろう。30度を超える日は少なかったし、土の道には、打ち水をした。今では、信じられない話である。
そして、そこのおばさんは、私たちが子供の頃も、お婆さんだった。もしかすると、50代?下手したら、40代。その後も、ずーと、いたのだから。
大人になって、我が子を連れて立ち寄ったことがある。「○○ちゃんの子供⁉️」と、喜んでから、たくさんのお土産をもたしてくれた。
そんなに通っていたのかな。その話すると、驚かれる。大人になって、私は、変わったと思うが、おばさんは、わかったのですね。
その時も、お婆さんである。年がわからない。
確かに、私が子供だった頃、親や周りの大人も老けて見えた。小学校入学の写真を見ると、母親たちは、まだ、30前後だったのだろうが、地味だった。
この頃は、皆若くなった。着るものも、おしゃれで派手になっている。いいことだと思う。
しかし、昔は、時間の流れがゆっくりしていたのだろう。