あの大変な震災からも、少しずつ復興し、いろいろな場所で、募金活動や、応援活動が始まり、被災地以外は、5月あたりから、普通に戻り始めた。

応援物資をくれた友人とも、連絡を取り合うことが増えた。主人も、現役時代は、毎月ゴルフ、飲み会と会っていたが、やはり福岡は遠く、誰も来ないと言う話から、遊びに行くことが決まった。

5月末に、福岡から大分を回る旅を2人でしてきた。息子が亡くなってから、悲しみの一年が過ぎたこともある。2人での遠出は最後となった。


その友人は、学生時代からコーラスをしていた。福岡でも、地元のグループに入り、歌っていた。

その指導者が被災地の出身であった。

彼らの声がけで、他のグループ、オーケストラも集まって、慰問の話になった。1年後に、旅費を出せる人間だけと言うことだが、家計からは出したくないと、70になる友は真冬の遊覧船の切符切りのバイトをして、お金を工面した。

そして、総勢100人が、福岡から宮城に向かった。大型の楽器の担当者は、新幹線で向かった。空港、駅からバスで移動し、おもいっきり、歌ってきたそうだ。途中で、教わった、地元の小中学校の校歌を歌ったそうである。大変喜ばれたそうである。

震災から3年後、私も、友人に車を出してもらって、現地に向かった。

何もない、道もまともにないところを、全国ナンバーのダンプカーだけが行き交う。沖縄ナンバーもあった。

片付けられていない爪痕も残っていた。

昨年秋、また出かけた。大分、道も整理されていたが、私が住んでいた地区は、地盤沈下のため、家は建てられなく、立派な道があるだけの何もない景色になっていた。

しかし、少しずつ復興している。

天災は仕方ないのかもしれない。しかし、この頃は、人災ではないかと思われることが増えている。

しかし、人々の涙は見たくない。

いつまでも、平和でありますように❗️

長々と、お読みいただきありがとうございます😊