息子も帰るということで、親子3人神奈川に帰ってきた。1999年頃かな。すんなり再就職もできた息子と共に、穏やかな日々を過ごしたが、2010年息子死亡。青天の霹靂であった。

東京に菩提寺はあったが、あそこに入れたくなかった。青空も見えない狭く、わたしたちも頻繁にいけない。私たちがなくなれば、誰もいけない。

しばらく、そのまま家に置いて、考えた。


そして、運命の、2011年3.11が起きた。

この頃まで、2人で考えた、近いところにある共同墓地を見て歩いた。横浜から、湘南にかけて、数カ所回った。最後に、1番近く、新しく景色もいい霊園に向かった。駐車場に停めて、一歩外に出た瞬間、足元から、ぐらりと大きく揺れた。

「目眩する、立ってられない」「いや、地震だ」と、言っているうちに、管理棟から職員が出てきた。停電になっている。ついに富士山爆発?1人が、車のテレビをつけた。東北だって。

とにかく、帰ることにした。道路は、信号機が作動せず、大渋滞である。

津波警報が出ており、我が家も、高台に避難した。ラジオだけが、情報源だが、詳しいことがわからない。

夜になり、警報も解除になり、家に戻っても、電気はつかない。簡単に食べられるものを食べ、眠りにつく。

夜中の2時過ぎ、電気がついたが、とにかく眠った。

朝起きて、テレビから流れる映像に、立ち上がることもできなかった。

見知った土地が出てくる。何度も走った道路を波が押し寄せている。しばらく、仕事は休むと、連絡した。