もうすぐ、母の命日が来る。64年経つのである。

私によく似た若い母の写真はある。戦後、猛威を振るった結核に侵され、私の記憶の中では、サナトリウムにいた母の姿が残っている。

薬が出始めだが、父は、自分の趣味のためには、お金を使ったが、家で、苦しむ母が、医者を呼ぶように頼んでも、適当に流していたと、大人になってから、親戚に聞いた。

祖父母が、しっかりと家を守り、子供を育てた。

まだ、世の中が貧しい時代に、姉と私の、七五三のお支度をして、盛大にお祝いをした。母の病院に、お支度をした私たちは、連れて行かれて、着物姿を見せた。母として、寂しかっただろうと思う。辛かっただろう。

私が、小学校に入る前に、亡くなった。

お嬢様の末っ子として、姉、兄たちに可愛がられた母が、兄弟、親よりも先に亡くなった。

母に瓜二つの私は、不憫に思われ、母方の祖父は、しょっちゅう、私だけを連れ出し、洋服を買い、おいしいものを食べさせてくれた。

母の姉も、同じだった。私を可愛がり、お墓をいつも、お参りしてくれていた。

しかし、父が再婚してからは、遠慮から、足が遠のいてきた。

祖父母も亡くなり、伯父、伯母とも、会わなくなった。

父方の祖母が亡くなり、葬式の時、母の歳を越した私に、伯母や、近所の人が、私の背中を見て、泣いた。顔が似ているのはわかるが、後ろ姿がそっくりだと、皆、思い出して、泣いてくれた。

そんな事、その時で、30年は経っていたと思うが、心に残っていてくれることが嬉しかった。

その後、母方の従兄弟たちとも、会う機会があった。末っ子の母は、甥や姪の子守りをしたり、遊んだそうであり、母のことをよく覚えてくれていた。やはり、顔より、背中を見て、泣く。

面白いですね。確かに、素顔はそっくりでも、時代で、髪型や、化粧で雰囲気は違う。私は、自分の後ろ姿はわからない。もちろん母の背中もそうである。これが、親子なのですね。