昨日ののどかな小学校の話から、一転、すごい中学校の話。

戦前の教育が否定され、戦後、新しい教育を求めて、国も、日教組も、試行錯誤の時期だったのでしょう。昭和40年近くなり、世の中も落ち着き始め、親も、ゆとりができ、我が子には、「高校、大学」への、進学の夢を持つようになった。

学校や、塾などが、力を入れ始めた。

私の街は、高校のランクがはっきりしており、学校の名前で、人を見るようなところがある。

そして、街も、江戸時代からの名残りで、街のカラーがはっきりしており、武士の街、商人の街、そんな雰囲気を引きずっているため、中学校も、公立なのに、ランクがあった。私立より上である。

2大中学校があった。父も卒業し、姉も入った。

地方から、親戚などを頼って、越境入学する人も多かった。

だから、1学年24クラスなどというすごいことになった。学校を分ける話が出てきた。わざわざ、有名な学区に引っ越した人もいる。分校に行く地域になる親が、反対した。揉めに揉めて、名物と言われた校長を分校に連れていくということで、決着した。

新しい学校は、しっかり、3大中学校となった。

落ち着いて、三年経った時、しっかり基礎ができたと、校長が変わった。私達が3年生になった時である。


新しい校長先生のプレッシャーは、大変だっと思う。

次の年の進学率を下げるわけにはいかない。

焦ったのでしょうね。すごい対策をとった。

試験が終わると、番付表を作って、全員に配る。自分の点数も、順位も全校にわかる。その成績順で勉強クラスを分ける。ホームルームが終わると、勉強のためのクラスに移る。テストのたびにそれは変わる。夏休みも、ほとんどなかった。


同じ学校の、先輩、後輩に聞いても、誰も知らない。私達1年間だけの「暗黒の歴史」かもしれない。なんとか、学校のランクを落とさなかったため、一年で終わり、そんなカリキュラムの年代はなかったようである。


私的には、同じ程度の人と、同じ進み具合で勉強したので、苦痛ではなかった。


今、こんなことしたら、大変な問題になるであろう。そんな気にもしていなかったが、やはり、いまだに、嫌な思い出になっている人たちが多い。

今、その街は、学区制になり、男女共学校になったりで、昔の、ランクが無くなった。

旧制中学や、旧制高女と言われ、何十年といいライバルだった学校も、歴史も、文化も無くなったようである。ノスタルジーでしょうか?