半年違いの幼なじみがいる。ずーっと、付き合ってきて、最近わかったことがある。
私は大学病院で生まれ、彼女は産婆さんに取り上げてもらった。70年前の事なので、ちょうど、両方あったのだろう。私は、みんな病院だと思い、彼女は、みんな産婆さんだと思っていた。お互い、自分と同じと思っていたため、話したこともなく、今になって、驚いた。ベビーブームの後、まだまだ出生率も高い時である。同じ町内で毎日のように生まれ、同じ産婆さんが、町中飛んで歩いて、取り上げたようで、「私の前の日は、○○君」などとわかっていたようだ。
私の母子手帳がある。若い人には、考えられないだろうが、『砂糖の配給。晒しの配給』などの文字がある。戦後6年経っても、やはり、物資の不足があったのだろう。
転勤で、地方に来ることになった時、知り合いの放送局から、仕事を待たされた。日本中の名医と言われる人たちの、医学講座を放送している。録音して送って欲しい。普通は、東京から出張しているが、放送関係も、ある程度できると言うことで、その地区は頼む。と言われた。
連絡があると、放送機材をレンタルして、先生のもとに行き、きっちり、放送に入るよう時間を測って録音して、テープを送る。月に数度、いいアルバイトだった。
沢山のお医者様と会った。ある時、次回の連絡を受けて、心弾んだ。
ある専門分野において、日本初と言われ、相当話題になった先生だった。
何を隠そう、私を取り上げた先生だった。
母子手帳に、担当医師の署名がある。大学病院で、まだ若かった先生が担当してくれたようだ。
当日、母子手帳を持っていき、終了後、話して、手帳を見せた。
自分の署名を見て、取り上げた子供が目の前にアラフォーの女性になって、座っている。
感慨深い思いの出会いとなった。