明治23年(西暦1890年)義父が生まれた。千葉の農家の4男坊、そこそこの農家でも、たくさんの兄弟がいれば、進路を考えたのだろう。

詳しくはわからないが、明治の終わりか大正の初めか、突然、ヨーロッパに渡った。仕事が決まっていたわけでもなく、コネがあったわけでもなく、「ウイ」だけが知っている言葉で、船に乗って、マルセイユに上陸した。

そこから、どんな暮らしをしたのか、仕事の話もはっきりは聞いていない。メインはジュネーブで働いたようだ。20年以上暮らして、日本に帰ってきた。もともとあった商才に、英、独、仏、イタリア、スペイン語が話せたため、日本で商売をして、結婚、主人が生まれ、上海で、手広く商売をしたらしい。主人も、その暮らしを覚えていた。

しかし、敗戦で全て捨てて身一つで帰ってきて、鎌倉に居を構えた。

あれだけの語学力があったので、進駐軍がらみの仕事をした。

世の中が落ち着いてくると、三顧の礼を持って、ホテルの支配人に招かられた。80過ぎまで2箇所のホテルに勤めた。その後、ホテル時代の人脈で、レストランをやりたいと、言い始めた。年齢的に契約が難しいので、主人が借り入れから、契約まで済ました。義父の人柄と、料理人の腕で人気店になった。88歳で亡くなるその日まで働き、心臓発作で、呆気なく死んでしまった。

前の年の夏に、一緒に軽井沢で過ごした。まだ歩けない孫と、本当にお爺さんの顔になって遊んでいた。

その頃、何気なく、ポッと言ったことがある。

「一度、飛行機に乗りたかった」「お義父さん、ヨーロッパ行っていたんでしょう」

ハッと気づいた。タイタニック号の事件は、1912年の話。

ああして、船倉に乗って渡ったのだなぁ。

近くでも、飛行機乗せてあげたかったな。

でも、大往生でしたね。