ある日、実家に電話した。「この電話は使われておりません」冷たい機械音が流れた。
姉に連絡したが、とぼけられた。
それから50日経たず、父が亡くなった。特に緊急な病気はなかった。
8歳の姉と6歳の私を残して、母が亡くなり、2年ほどで父は再婚した。継母が来ることは、当日祖父母に聞いた。父も、彼女も、自分のことしか考えなかった。
必死で守ってくれた祖母も、諦めたようだ。
貧しい暮らしの上、親や兄に依存していた彼女は、自由なお金が嬉しかったようだ。
曽祖父母から、四代続き、100坪以上の家と、4箇所にあった土地が、祖父が亡くなり、家以外売り捌き、いろいろ散財したようだ。子供の私達には、わからなかった。私達に対しては10円のお金も出したくなかったようである。
18で私は家を出た。姉は嫌がらせされながら、親元で、結婚まで実家にいた。
しかし、彼女の浪費、宗教への出費で、借金もどうしようもない状態になったようである。
親とは、適当に付き合い、そこそこ、頑張ったこともあり、傍目には、いい暮らしをしていた私達夫婦にいい気分ではなかった姉が、画策して、家を売らせ、親の借金と自分達の家購入の策を練った。
生まれ育った家を追われ、狭いマンションに移った父がある日、意識不明になったと連絡があった。
飛んで行った病院には誰もいなかった。
1番愛情の薄かった私に、意識がないまま、涙を流し、手を動かした。誰も経験なかったそうである。
今更、私に泣きつくなよ。そんな気がした。そして、呆気なく亡くなった。
家を売った次の日には、父も、姉にもあった。身内に不幸があったから。なんの話もなかった。
父が、老後幸せに暮らしたら、何も言わない。
家を売って50日で、原因不明で亡くなった。
私は生きる希望を無くしたからと思っている。
とにかく、家を売ったお金を聞いた。答えなかった。仕方なく、弁護士をたて、調停をした。100坪以上の家を売ったお金が、ほとんどなかった。
姉は、父が10年くらいは生きるつもりだったから、私も誤魔化せるつもりだったようで、予定が狂ったが、今更、どうしようもない。
半年、霞ヶ関に通って、全てはっきりさせ、姉とも縁を切った。
そんな時、いつもそばで力になってくれたのは、夫であり、励ましてくれた息子である。