この頃、毎年、集中豪雨による死者が出る災害が起こっている。昔はこんなに無かったと思う。水が出てから、冠水するまでが早い。
私は、2度こういう場面に遭遇したことがある。
1度目は、40数年前、仕事で秋田に行った。夕方、仕事が終わり、皆はその夜の寝台列車で帰ることになっていた。何気なく、時刻表を見ると、17時発の、秋田〜仙台間の直行の特急電車が、1日I便だけあることに気づき、当時、実家があったので、別行動でその電車に乗った。21時到着予定。
どこをどう走るのか分からないが、岩手県を横断して行く。真っ暗な山間部を走っていた電車が突然止まった。小降りだった雨が強くなっていた。
最寄りの駅に止まった。小さな小さな駅。名前もわからない。携帯もない時代、駅の電話と、駅前の公衆電話で、皆、連絡をとった。
その後、その時代、どこから運んできたのか、パン🍞と牛乳🥛の差し入れがあった。あんな田舎、コンビニもないと思う場所で、相当数の食事を用意してくれた方々に感謝🥲しています。
夜中の2時、皆無事に仙台到着。
もう一回は、20数年前、田舎暮らしをしていた時、60キロ程離れた街に、しょっちゅう出かけていた。その日も、午前中出かけて帰った時、その街の学校に通う息子が、電車が止まっている🚃との連絡。我が家は青空、わからないまま、50キロの道を引き返した。その日、東京から帰る夫に連絡したが、出たあとだった。
途中から、豪雨となりあちこちで冠水して道が通れなくなる。時間がかかったが、息子は拾い、夫を探した。新幹線は、高架を走る為、無事到着。私達が探しているとは知らないから、呼び出しを掛けても、喧騒の中、会えない。諦めて、一度家に帰る。お昼過ぎに家を出たのに、もう0時を回っていた。やっと夫と電話で話せた。電車を解放して、寝られるようになったと聞いて、明朝、迎えに行く事にした。道を探して、廻った為、2日で500キロ近く走ったことになる。
その時、地元放送局が、一日中、みんなからのメッセージを流し続けた。「友達の家に泊まる」「小父さんの家に行きなさい」すごかった。みんなすごかった。