なにかが、いま、やわらかくなってんだろうな私。
 
ふいな切っ掛けで、ここ数日、ネットでハシゴ閲覧している吉田拓郎さんの楽曲。
 
なんか、なにを聴いていても泣けてきてしまう。
 
・・・「つま恋」の「永遠の嘘を~」は、あれはもう、ひたすら吉田拓郎と中島みゆきのお二人が、
 
格好良くて、最高で、・・・そういうことにも泣けてしまう。

 
さて、また1曲。
  
 
「流星」 手嶌葵



この曲は、もちろん本来、吉田拓郎さん自身が歌ったものがグッときます。
 
手嶌葵さんというのは、「テルーの歌(ゲド戦記)」を歌っていたあの方ですね。
(※あの映画の評価や、歌詞のパクリ疑惑に関しては置いておいて、「テルーの歌」そのものが持っている輝きは、至宝でした。)
 
 
その手嶌葵さんが、何かのCM挿入歌絡みで「流星」を歌っていたとは私は知りませんでした。
 

歌も、ドラマも、すぐれた作品というのは完成されているものだと思うのですが、
 
行間に込められたもののの奥深さや寛容度というのが、これまた凄いのです。
 
 
  
人が感動するのは、歌の中に、トラマや小説や映画の情景の中に、
 
「自分の姿」を見つけるから・・・、
 
「これは私の(僕の)歌なんだ。(話なんだ。)」と、
 
そんなふうに思えるから心を打たれるのです。


 共感して、
 
 
そして、決して自分には辿り着けないかもしれない「羨望」と「憧憬」をも見つけたりするから、
 
 
楽しいときにはウキウキなんだけれど、
 
なにかやわらかいところに触れられてしまうと、泣けてしまうんですよね・・・。