卒業後の人生を見据え、社会で働き続けるための力を身につけることを意図した、「28project」を行っている[1]。「生徒が生き生きしている」との評判があると校長は語る[2]。

戦前から続く女子学校ではあるが、荏原女学校(1926年開校)当時から「女性の手に職をつける」ことを目指すなど、単なる「お嬢様学校」ではなく、社会で働き、家庭と両立させる女性を送り出す学校であるという[1]。ミッションは、「私たちは世界をこころに、能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、才能を伸ばし、夢を育てます」[2]より引用。このミッションから教育方針である「28project」が生まれ、またミッション達成のためには生徒を育てる時間が3年間では不十分として、高校での募集を取りやめている[2]。

また、一時期廃校が取り沙汰されるほどの状態から偏差値、進学率を高めた学校として、学校再生の観点でも注目された[1]。

なお、事前の届出と学業優先を条件として芸能活動も許可している。


 創立122周年。伊藤博文により創設された。当初は虎ノ門の工部大学校旧校舎を利用していたが、関東大震災により焼失し、広尾に移転。これには渋沢栄一も協力していた。詳しいことは、3階図書室前の資料館で知ることができる。


1872年 - ベルナール・プティジャン司教の招きにより、サンモール修道会(幼きイエス会)の会員5名がフランスより来日、布教と教育慈善活動を横浜で開始。
1875年 - 東京に築地語学校を開校し、教育と共に身寄りの無い老人や孤児の世話などのボランティア活動も開始。この語学校が雙葉学園の前身となった。
1909年 - 初代校長メール・セン・テレースが私財で現在の地を購入し、フランス風の優雅な木造2階建ての校舎を建造。雙葉高等女学校創立。
1910年 - 雙葉女子尋常小学校、同付属幼稚園設立。
1945年 - 第二次世界大戦の空襲により、全校舎完全焼失。翌年木造の仮校舎完成。
1947年 - 学制改革により雙葉中学校設立。
1948年 - 雙葉高等学校設立。
1952年 - 本建築により鉄筋4階建て校舎完成。
1999年 - 校舎全面改築に入り、2000年12月に地下1階・地上7階の本校舎と講堂が完成。


1877年 - 華族学校学則制定。神田錦町にて開業式を挙行し、天皇皇后親臨、勅諭・令旨を賜わり、あらためて「学習院」の勅額を下賜される。
1884年 - 宮内省所轄の官立学校となる。
1888年 - 学習院は麹町区三年町(虎ノ門)の旧工部大学校跡に移転する。
1890年 - 四谷区尾張町に移転する。
1908年 - 東京府下高田村(目白)に移転する。
1919年 - 学習院の高等学科を高等科に改める。
1945年 - 学習院・女子学習院に関する官制廃止される。
1947年 - 財団法人学習院による新しい経営が始まり、学習院は一体として私立学校となる。新制学習院中等科が発足。
1948年 - 新制学習院高等科を開設する。
1951年 - 学校法人学習院となる。


1905年(明治38年) - アメリカのプロテスタント教派ディサイプル・オブ・クライスト派から日本に派遣されていた女性宣教師、バーサ・F・クローソンにより女子聖学院神学部として東京築地で設立される。
1906年(明治39年) - 滝野川字中里(現立地場所)に用地を取得、校舎建設に着手。
1907年(明治40年) - 神学部第1回生1名卒業、校舎移転。
1908年(明治41年) - 普通学部を設立。
1912年(明治45年) - 中里幼稚園(現・聖学院幼稚園)設立。
1933年(昭和8年) - 制服制定。
1947年(昭和22年) - 学制改革により女子聖学院中等部設立。女子聖学院PTA設立。
1948年(昭和23年) - 女子聖学院高等部設立。
1951年(昭和26年) - 学校法人聖学院設立。
1960年(昭和35年) - 女子聖学院小学校(現・聖学院小学校)設立。
1966年(昭和41年) - 学校組織改変により、女子聖学院中学校・高等学校に改称。
1967年(昭和42年) - 女子聖学院短期大学創立(1988年聖学院大学に統合)。
1987年(昭和62年) - 現チャペル棟完成。
2005年(平成17年) - 女子聖学院創立100周年。
2007年(平成19年) - 新校舎完成。


1937年 - 芦屋高等女学校として開校。
1947・48年 - 学制改革により芦屋女子中学校・高等学校となる。
1986年 - 芦屋大学附属中学校・高等学校に改称し、高校の国際文化科が共学になる。
1992年 - 中学校の国際文化科が共学化。
2009年 - 芦屋学園中学校・高等学校に改称。


1923年 研心学園を創設。
1929年 財団法人目白学園を設立。目白商業学校を設置。
1944年 目白女子商業学校を設置。
1948年 学制改革により目白学園中学校と目白学園高等学校に改組。
1951年 目白学園を財団法人から学校法人に改組。
1959年 目白学園幼稚園を開設。
2000年 目白学園幼稚園を廃止。
2002年 目白学園高等学校が文部科学省よりスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(第1期)に指定される。
2009年1月 新校舎(5号館)落成。
2009年4月 目白研心中学校・高等学校に名称変更、並びに男女共学化。


1878年 - フランスのシャルトル聖パウロ修道女会の3人の修道女が函館に来日。
1881年 - 修道女が神田猿楽町に学校を設立。後に校名を女子仏学校とする。
1910年 - 仏英和高等女学校となる。
1923年 - 関東大震災により校舎が全焼。
1927年 - 九段の現在の敷地に新校舎完成、移転。
1945年 - 空襲により校舎が全焼。
1947年 - 学制改革により、白百合学園中学校を設置。
1948年 - 学制改革により、白百合学園高等学校を設置。


1877年、主として華族子弟のための学校として開校された、120余年の歴史を有する伝統校である。1947年に宮内省管轄を離れ、私立学校となる。財団法人学習院を経て、1951年に学校法人学習院となり現在に至る。

なお、現在の学習院高等科は旧制学習院中等科の系譜を継ぐ教育機関である。学制改革以前にも同名の旧制学習院高等科という教育機関が存在したが、旧制高等科は学習院大学に改組されている点から、旧制と新制の学習院高等科は、全く別の教育機関である。旧制高等科は高等教育課程を担っていたのに対し、新制高等科は後期中等教育を実施する。

課外活動としてはクラブ活動を推奨しており、陸上ホッケー部が2005年に29年ぶりにインターハイに出場するなど全国大会に出場するクラブもある。他には漕艇部[1](ボート部)などがインターハイに出場する機会が多い(漕艇部は1990年にはシングルスカル(一人乗り)でインターハイの決勝へ進出している。)。2006年は漕艇部が近畿総体(インターハイ)へ出場し、準々決勝に進出した。2007年も漕艇部はインターハイに出場し準々決勝に進出した。


1923年(大正12年)、創立者の佐藤重遠が男子校である研心学園を設立。目白商業学校を経て、1944年に目白女子商業学校として女子校に転換。1948年には学校名を目白学園中学校・高等学校に改め、その後約半世紀の間、女子教育の道を歩む。2009年より目白研心中学校・高等学校と改称し、男女共学の進学校として新たなスタートを切る。

古くから英語コミュニケーション能力の育成や国際交流に力を入れ、独自の英語教育プログラム「ACE(エース) Program」を実施している。2002年には文部科学省よりスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(SELHi)の指定を受けた。

2009年度からの男女共学化をにらみ新校舎を建設。また、独立行政法人科学技術振興機構が推進するサイエンス・パートナーシップ・プロジェクト(SPP)の採択を受けるなど、理数教育にも力を入れている。