オウンゴール -2ページ目

オウンゴール

どこか普通じゃない。

人は、忘れてしまう生き物である。

歴史の年表の様に、起こった出来事を見出し化できる程度になら覚えていられるが、それにも必ず限度が存在する。新しい出来事が起きれば、何かを忘れていってしまうのだ。

しかもその際に、コンピュータのデータファイルの様に削除するものを選べないから質が悪い。忘れたいことほど忘れられない、といった話もよく聞く。

その為もあって、人々は忘れたくないことを日記、写真、動画等といった形で必死に残しておこうとする。

個人差はあるだろうが、自分の場合は何年も経ってからそれらを見ると、その時の風が背中の方から吹いてくる様な感覚と共に、その時の感情が鮮やかに蘇ってくることがある。
だが、その風はあくまで幻であり、感情だって本当にその時と同じものなのかは分からない。一度、完全に忘れてしまっていることだからだ。

忘れてしまうことは個人の出来事にとどまらない。決して風化させてはならない様な人間がたくさん死んでしまった事例や、既に起きてしまった自然災害から学び活かすべき教訓。
こうしたことを人類は中々覚えておけない。「前に進む」ことの代償なのかもしれないがいつの間にかどこかに置き忘れてきてしまう。そうして繰り返してしまった悲劇も地球の歴史上にいくつも存在する。

だが、僕が今したいのはそんなスケールの話ではない。何気なく見た右足の薬指に、真っ黒になったバンドエイドを見つけてしまったのだ。

足の爪が伸びるのが異常に遅くて、なおかつペディキュアを塗っている訳でも無いので自分の足を見ることは日常において殆ど無い。その為にバンドエイドを貼っていること自体を忘れてしまっていたのだ。靴下もテレビを見ながら履いている。一体いつから貼ってあるバンドエイドなのだろうか。

こんな時の為に日記がある。二年ほど前から使っている分厚い日記帳をめくって遡っていくと、6/28の日記に靴がきつくて指を痛めた記述があった。
72日も前じゃないか。72日前、靴がきつくて指を痛めた時の風は、吹いてこない。僕はバンドエイドをそっと剥がした。これは、忘れてはいけないことだった。

これは、携帯電話の充電器をスマートフォンに接続する為のコネクタ的なものである。

スマートフォンに変えて一年も経っていないのだが、これがもう三代目になる。ルパンと呼んでいる。

僕が持っている機種のものだけかもしれないが、少しでも曲がってしまうと接触が悪くなって充電出来なくなってしまうというのだ。

一度目は完全に自分に非がある。充電しながら握り締めてあれやこれやと使用していたので、確かに酷く曲がってしまっていた。
ショップのお姉さんにも「これだけ曲げてしまうと中の配線が…」と注意されてしまった。

二度目は、それより以前に道で偶然拾ったものを使っていたのだが、前の様に激しく曲げたりしていないのに一ヶ月足らずで充電出来なくなってしまった。

この時には、「大変申し訳ありません。多くのお客様が同じ症状に見舞われております。非常にデリケートなものでして、少しでも曲げてしまうと接触が悪くなりやすいというか…」とお姉さんも歯切れが悪かった。

今度は有料でもう一度買うしかない。もう、ちょっとでも曲がりそうだったらストレートパーマをかけてやる。湿気や雨は大敵だ。

そう決意していたのだが、家に届いて箱を開けた時にすでにこの曲がり方をしていたのである。おお何と言うことだ、ルパンよ。

ルパンと過ごせたのはわずか三週間。差し込んでもうんともすんとも言わない。何も盗まない。これしか曲がっていない、というか最初からこうだったのに。この電話、本当にもうどうしたらいいのだろうか。
「よく食べる男の人が好き!」


というよく聞く女子たちの声に応えるべくだとか、そういう俗っぽい次元を超えたレベルの量を食べることに憧れる。

意味も無くたくさん食べることには多くのデメリットが存在する。食費が必要以上に掛かり、苦しい思いをし、胃がもたれて数時間、場合によっては翌日までダメージを引きずることになる。更に、太るという必然にして最悪の結果を招く。

対して、メリットは1つ。なんか面白い。それだけである。

一昨日も、友人が蕎麦屋で通常の三倍の量のざる蕎麦を食べていた。写真を撮るのも忘れてしまうような圧倒的な量。どんどん落ちてゆく、食べるペースとテンション。苦しそうな表情でいやいや口に運んでいく様。お金を払っているのに。

しかし、自分もそこに参加や対抗を出来ないことが悔しい。20代半ばにして食べられる量が完全に衰えてしまったのだ。
顔を歪ませ、割り箸をまるで鉛で出来ているかの様によろよろと持ち上げながらも確実に口に運んでいく彼の姿が輝いてみえる。

かつては僕も彼と同じフィールドで確かな輝きを放っていた。吉野家で牛丼をたいらげてから隣にあるマクドナルドに当たり前のように入ってセットを食べたり、
食事に二つの選択肢が出現したら「どっちも食べればいいじゃん」という答えしかなかった。複数ならば「全部食べればいいじゃん」だ。

そうこうして最終的に辿り着く感情は、いつだって後悔だった。全盛期の大学生時には、10kg以上体重が増えた。

僕はフードファイターでもないし、力士でもない。当時のそうした行為は、要するに"バカなノリ"である。

だが、今の自分に足りないものはそうした"バカなノリ"なのではないか。「最近は若い頃みたくたくさん食べられなくてさー」などと、何を"すっかり落ち着いちゃった"ぶっているのか。情けない。もう一度あの頃の輝きを取り戻したい。

そうは言っても、小さくなってしまった胃を大きくするのは地道な鍛練が必要だ。自分との戦いである。戦だ。腹が減っては戦は出来ぬ、ということで今から近所のすき家にでも足を運ぶことにする。二時間前に夕飯食べたんだけど。