自分ゴト、ですが。



今から9年前、2011年の震災のときね、
自然派健康オタクに傾倒していた私は、「放射能」が怖くてこわくて恐くて。


過度に神経質に必死にいろんな対策をした。
横浜に住んでいたけど、
放射能を避けるために0歳の息子を連れて石垣島に飛んだ。
赤子と2人きり。

石垣島に住んでいる友人を頼って行ったものの、3日で絶交して友人の家を出たw



そこからいろんな宿をてんてんとした濃い1ヶ月間。
安い汚れた宿の床をハイハイする子を制しながら、
悔し涙こらえながら床拭きしたり。。笑
  
 



横浜に戻ってからも、
放射能に良いとされるものを大量購入まとめ買いし。
食事もストイックに徹底して。
赤子にもマスクをつけて完全防備!
 







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「恐れ」の闇が、とても濃かった私。

それは、たまたま「放射能」で表面化しただけであって、元々持っていた「恐れ」の闇。
 


闇の深さ濃さは人それぞれだけど、
私は本当に濃かったな。





「闇が深いほど光が強い」とはよくいったもので。
光は、ただたた安全で穏やかな場所。
自分の闇にしっかり向き合えば、
反転する。

 


当時、放射能グッズを恐れから買いだめしてたけど、昨今マスクを並んで買いだめする人の気持ち、よく分かる。
 
光になったら、買いしめる人のこともなんとも思わない。



怖いなら、怖さの量だけ、
安心できることをやりきるのがいいよね。
自分のゆるせる美意識の範囲で、かな。

 
マスク買いしめる人のことを怪訝に思って非難したくなるときは、
「本当は自分も買いしめて安心したいけど、それをするのは美しくない」
という思いがあったり。
「私だって怖いし買いしめたいんだ!」
を、みとめる。
 


対策してるから安心!
も、恐れのエネルギーは微細にのっている。
   
 

安心できる対策をしながらも、
自分自身の内側の奥の奥を見つめて、
とことん解放するのみ。🌸

誰かの持つ恐れの根っこには、愛がある。
ただただ、優しい。


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分断から統合へ向かうプロセスが、

国レベルで。


利己てきな心とか、

競争心をあおられるような心身と自然にさからうような状態から、


調和に向かうにあたっての、

カオスのプロセス。