小さい頃から、
「感謝」や「平和」を大切にしている優しい人ほど、
自分に湧く「我(エゴ)」の扱い方
が分からなくて拗れてしまうパターン。
大人になって
「スピリチュアル」を知ってから、
「感謝と祈り」に比重が行き過ぎて
自分の「我」を見て見ぬフリして
蓋して拗れてしまうパターン。
あるあるです。
拗れるということは、
生きづらくなって不具合が生じやすくなる。
「崇高」な精神を求めて願うほどに、
人間ならではの滑稽さや
ありのままの「欲」を、
人や出来事をとおして見せつけられて
不快になったり翻弄されてしまったりね。
大嫌いなあのひとも
許せないあの人も、
全〜部自分のカケラなのだと、
自分が創り出したものだということを、
愛の感覚として腑に落ちるとね、
自分の世界が優しくなる。
相手は「鏡」。
カガミの我(ガ)を取ると神(カミ)になるとはなるほどだよね。
我を取るというのは、
我をなくそうと頑張ることではなくって、
我に向き合って潜り込んでいく、
ということなの。
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