5月1日ですね。

学校が始まって、朝の登校班の当番に行ってきました。
1番最後に遅れて来た子が、「太陽が目にささるー!急いだから暑いー!」と笑いながらぼやいていた。
この、悪びれもない無邪気な感じのこの子は、3が2つある。
いつもあまりにもおもしろいから、誕生日を聞いたら、やはり3だった笑


潜在数秘術アドバイザー、奥山のぶです✨



進学シーズン。
子ども同士のイジワルを目撃して、胸が痛む、、、ということが起こりやすい時期かなぁと思います。

5年前、現在8歳の長男が3歳〜5歳のあたりに、お友達と遊んでいて仲間に入れてもらえない、、、という現場を何度も目の当たりにして、まさに胸がしめつけられるような痛みを感じて、過剰反応してました。
で、我が子にイジワルをする子に直接、

「あのさ、そんなイジワルして楽しいわけ?自分がされたらどうなのさ!!」と、同じ3歳の、よその子に向かって説教してみたり。

いや、ね、人の子を叱れることは、今でも大切なことだと思っているし、今でもよその子叱るけど、当時のイジワルを目の当たりにした私は、あきらかに感情が過剰反応だったわけです。
「感情」が、です。

ただ冷静に、たしなめたり注意したり毅然と叱ったり、、以上の感情がのっかていた。

子どもが不憫に思えて胸が苦しすぎた私は、「これ、、昔の古傷に反応してるわ、、、」と。。。

なので、当時の私は、自分の古傷と、子どもに起きていることを意識的にわけて捉えるようにしました。

「感情」には、いろんなヒントが隠れている。
イジワルは許せない、、、!という正義感の奥にあるもの。

5年前は、「子ども」という生き物に本質的に理解の深い先生方と、「子どもを信頼する」ということを一緒に体感していくお母さん達に支えられて、見守ったり、子どもが感じたことをただただ受け入れることをしたり。

その後、いろんな角度から、私が中学時代にうけたイジメの辛かった感情の蓋を、開けざるをえない出来事が続いて、がっつり向き合った。

これね、自分が被害者で相手を加害者にしているうちは、というか、したいうちは、蓋を開けて向き合うことはできないんだよね。
だって、けっこうハードなんですわ。。。

むやみやたらに蓋は開けるもんでもないし、蓋が自分を守ってくれている。


でも、本当にね、昇華すると、感謝が溢れて、過去の被害者だった自分も、加害者にしていた人達のことも、
まあるく包めるような、陽だまりになるんだなぁ。


ちょっとね、仲間はずれにされているような現場をたまたま目撃して過剰反応しているお母さんの投稿が目に入って、思うことがあり、とても印象に残っていたmicaさんの2年前の記事をかりました。

まぁ実際は、その投稿のお母さんは、そこまで過剰反応はしていないのかもしれないのかもしれないけれど、
「過剰反応した過去の自分」を思い出したので、かいてみました〜。


そしてね、
幼稚園児から低学年あたりのイヂワルは、本当にほとんどは子ども同士で解決するし、ケロッと何ごともなかったようにまた遊んだりするんだよね。

この頃の子どものイジワルは、なんというか、、「遊びのいっかん」のようなものでもあって、、高学年以降のイジワル=イジメとは、根底にあるものが違ったり。

そして、
お母さん見てないだけで、知らないだけで、我が子も同じことしてたりする( ̄▽ ̄)




数秘術のブログなので、数字の見解もかいてみよう!
かなり付け足し感があるような。 ̄▽ ̄)


私は、生年月日とフルネームから割り出される数秘術の数字に、3と1があるので、

自分だけ仲間に入れていない疎外感を感じる現実を引き寄せたり、
自分がした言動で周りがシーンと静まりかえったり、
自分だけ認めてもらえないような寂しさや不公平さを感じたり、

ということがいっぱいありました( ̄▽ ̄)

それは、3も1も、
「新しさやオリジナリティな自分で突き抜けるエネルギーの役割」だから、なんですね。

「みんなと一緒でみんなと同じように、、、」
ではいられない自分を、様々な出来事をとおして、
卑屈から開き直りに転化していくプロセス、、、、みたいな✨ 

こんなふうにね、自分が持っている数字の性質から過去を紐解くこともおもしろいのです。