「片付けられないことが悩みです」

とのことでした☆




私「どうして片付けられないといけない、と思うんですか?」





「旦那にもいろいろ言われるし、子どもにもしめしがつかないから」





私「旦那さまが何も言わない人で、お子さんがいなかったとしたら、どうですか?」




「自分は片付いてなくても平気なので、気にならないです!」





ウインク


「問題」に感じていることは、

「片付けられないこと」そのものではなく、



旦那さまに文句を言われたくない
言われると自分を否定されている気持ちになる、悲しい



「旦那に、今の自分のまま、受け入れてもらいたい」
「夫婦仲良く、、愛されたい」。。♡






つまり、

「自分が自分に受け入れられたがっている」



自分が自分にOKを出すと、

自分が自分にバツをつけていたところをバツじゃないんだ、と思えるようになると、


現実は変化します⭐︎
 






 「実家も散らかっていたから、私も片付けられなくて。
だから、
子どもも片付けられなくて」


この、現実さえも、

「それ、本当、、?」

その「解釈」は、本当?と、掘り下げられます。



言い方を変えると、


「私は親のせいで片付けが苦手、
 だから、私のせいで私の子どもも片付けが苦手」

「子どもは親の影響を受ける」

という概念もみえます。






私もありました。


私が虫を怖がるから、子どもも虫を怖がるようになった。

だから、子どもが虫嫌いなのは、

「私のせいだ」


これで、自分を責めるような罪悪感が成立します。



「子どもは伸び伸びと自然にふれて、虫とお友達のようでいることが、子どもらしい健やかさだよね。」
「虫がニガテだと、軟弱でだめだ」


という概念も、はっきりします。







でも、

虫ギライなお母さんでも、虫が大好きな子どももいっぱいいます。


お母さんは片付けがニガテでも、子どもは整理整頓が得意な子も、いっぱいいます。





「自分のせい」

と思うことで、自分を責めることで、

それにふさわしい現実が目の前にあらわれます。




その現実があるから、

という、外側の要因があって悩む、、ではなくて、



自分の中にあるものが、外側の現実を生み出しています。




ということは、


やはりみるところは、「自分」です。






そして、
「片付けがニガテ」


という解釈も、違っている場合もあります。


違う人から見たら、散らかってもいないし、
「片付けられる人」かもしれません。


私たちは、ただあるその「事実」に対して、何かかしらの独自の「解釈」をつけます。

「解釈」そのものは、とーっても個人的なあれこれをつけます。


そして、「感情」がうまれます。





「問題」と思っていることが、なぜ問題と感じるのか、、


慣れると、自分で紐解くこともできます。



紐解けて「罪悪感」がなくなったら、



見える現実は変化します⭐︎






でも!

紐解けなくても、分析しなくても、いいんです。

というか、頭でぐるぐるわけが分からなくなるなら、

やめる。





日々、自分自身の「心地よさ」を意識して、具体的に心地よさや 「喜び」をとりにいくことで、

大元にあった「自分責め」がなくなり、

自分の内側があたたかいものになれば、

現実は変化します⭐︎







紐解くお手伝い、

自分の心地よさを日常生活で味わうことなども、

セッションでお伝えしております☆




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