「片付けられないことが悩みです」
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
とのことでした☆
私「どうして片付けられないといけない、と思うんですか?」
「旦那にもいろいろ言われるし、子どもにもしめしがつかないから」
私「旦那さまが何も言わない人で、お子さんがいなかったとしたら、どうですか?」
「自分は片付いてなくても平気なので、気にならないです!」
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
「問題」に感じていることは、
「片付けられないこと」そのものではなく、
旦那さまに文句を言われたくない
↓
言われると自分を否定されている気持ちになる、悲しい
↓
↓
↓
「旦那に、今の自分のまま、受け入れてもらいたい」
↓
「夫婦仲良く、、愛されたい」。。♡
つまり、
「自分が自分に受け入れられたがっている」
自分が自分にOKを出すと、
自分が自分にバツをつけていたところをバツじゃないんだ、と思えるようになると、
現実は変化します⭐︎
「実家も散らかっていたから、私も片付けられなくて。
だから、
子どもも片付けられなくて」
この、現実さえも、
「それ、本当、、?」
その「解釈」は、本当?と、掘り下げられます。
言い方を変えると、
「私は親のせいで片付けが苦手、
だから、私のせいで私の子どもも片付けが苦手」
↓
「子どもは親の影響を受ける」
という概念もみえます。
私もありました。
私が虫を怖がるから、子どもも虫を怖がるようになった。
だから、子どもが虫嫌いなのは、
「私のせいだ」
これで、自分を責めるような罪悪感が成立します。
「子どもは伸び伸びと自然にふれて、虫とお友達のようでいることが、子どもらしい健やかさだよね。」
「虫がニガテだと、軟弱でだめだ」
という概念も、はっきりします。
でも、
虫ギライなお母さんでも、虫が大好きな子どももいっぱいいます。
お母さんは片付けがニガテでも、子どもは整理整頓が得意な子も、いっぱいいます。
「自分のせい」
と思うことで、自分を責めることで、
それにふさわしい現実が目の前にあらわれます。
その現実があるから、
という、外側の要因があって悩む、、ではなくて、
自分の中にあるものが、外側の現実を生み出しています。
ということは、
やはりみるところは、「自分」です。
そして、
「片付けがニガテ」
という解釈も、違っている場合もあります。
違う人から見たら、散らかってもいないし、
「片付けられる人」かもしれません。
私たちは、ただあるその「事実」に対して、何かかしらの独自の「解釈」をつけます。
「解釈」そのものは、とーっても個人的なあれこれをつけます。
そして、「感情」がうまれます。
「問題」と思っていることが、なぜ問題と感じるのか、、
慣れると、自分で紐解くこともできます。
紐解けて「罪悪感」がなくなったら、
見える現実は変化します⭐︎
でも!
紐解けなくても、分析しなくても、いいんです。
というか、頭でぐるぐるわけが分からなくなるなら、
やめる。
日々、自分自身の「心地よさ」を意識して、具体的に心地よさや 「喜び」をとりにいくことで、
大元にあった「自分責め」がなくなり、
自分の内側があたたかいものになれば、
現実は変化します⭐︎
紐解くお手伝い、
自分の心地よさを日常生活で味わうことなども、
セッションでお伝えしております☆