フルネームから「人生のシナリオ」が数字として導き出されるのならば、
結婚して苗字が変わった場合、
どんなふうに影響が変化するのか気になりますね
生まれたときから10歳ぐらいまでのフルネームで「人生のシナリオ」である潜在意識の辞書が出来上がります。
生まれる瞬間の生年月日に「人生のシナリオ」が宿るように、
生まれたときの氏名にも、人生のシナリオが宿る、、✨
でも、結婚後の名前も、影響ゼロではありません。
妻、母、嫁、、といった、役割に数字のエッセンスが足されるイメージです☆
たとえば、、、。
周りを見ていてもご依頼いただく方でみていても、
結婚後に「8」が加わると、「頑張る」状況が増えるような感じです( ̄▽ ̄)✨
そんなこというと、8がきらわれちゃいそうですが、
8は、強くあらねばとパワフルに成らざるをえないので、色どりが濃くなる感じですね。
そのぶん、達成感やら爽快感も得やすくなるのではないかなぁ。✨
「頼って任せる」プロセスも味わえる。
ネタも増える
「ネタなんていらないから、穏やかに暮らしたーい!」
という方、ほかの数字に何を持っているかで、自分の心地いい在り方の塩梅も変わるかな。
でも、外から見て分かりやすいネタができるのは5がある場合でしょう。
「変化」「成長」「チャレンジ」の5なので、必然てきにネタが増える
私のメイン数字は、
LP8
D5
S3
P11
になりますが、結婚後の姓名は、
LP8
D5→D4
S3→S2
P11→P2になります。
「2」は、結婚してからジワジワきてます。2っぽい状況、心境。
2。
「曖昧さ」が、美しいエネルギーを放ちます。
人間関係でも、物事においても、白黒どちらでもない曖昧な揺れる部分の美しさを感じること。
ということは、その境地を発揮するために、
人間関係のあれこれに巻き込まれて心を痛めやすい、という状況も引き寄せます。。
正反対の、相反する在り方やら意見が違う人達との違いを受け入れたうえでの、関係性のあたたかさ。
むしろ、違いを受け入れられないところにさえも、
人間のこころの愛おしさを感じる瞬間。
曖昧さを受け入れるプロセスとして、
白黒をつけようとするほどに、こじれ、くるしくなる現実も味わう。
私は、義理実家の人達と、
仲良くなりたい!
分かり合いたい!
分かり合えるはず!
本音でつながりたい!
わだかまりなく気楽な関係性でいたい!
だって、親族になったんだし!
という思いを、とても強く持っていました。
あつくるしいほどに。
その思いは、一見、平和や調和を求める愛のようにも見えるけれど、
強すぎる思いには、「力」が入る。
入っているんです。
それは、「委ねる」とか、「受容」だとかの、反対のエネルギーをもつ。
反戦運動にも、同じことがいえるのかな。
え。
なんとなく伝わるかしら。
調和を求めていたはずの思いには、
「相手を変えたい、相手に変わってほしい」
というような、力み、欲が混じっている。
そんなつもりもなく、無意識だったれど。。
無意識のエネルギー。
感じとるよね、人と人は。
コントロールされたくないもんね。
「分かり合えなくてもいいんだ」
ということを、やっと受け入れられるようになったときに、
力が抜けて、私はとても楽になった。
清々しささえ感じる。
「他人なんだし、分かりあえなくて当たり前だし、しかたがないじゃん
みんな、そんなのわりきってるよ」
という、感じではなくて、
調和を求めたからこそ、
分かり合えないことを分かる、受け入れられる、
分かり合えなくてもいいんだ、という安心感を得る。
そうした先には、
相手を尊重する思いが溢れて、
それはとてもあたたかくて穏やかで、優しい気持ち。╰(*´︶`*)╯❤️
そんなふうになれたのは、ちゃんと、
泣いたり、怒ったり、
自分の感情をとおして自分をみつめて、
勇気を出して歩み寄ることを何度も試みたから。
ビクビクしながらニコニコしたり、くっそー!と思いながらニコニコしたり。
この歩み寄りが、とても不自然だったから、不調和になるということが、あとから分かった。
お手紙書いてみたり。
思わず泣いて支離滅裂なったり、かっこわるくても恥ずかしくても、
やりきった。
やってみて腑に落ちる。体験をとおして。
私の場合は、だけど。
そのプロセスすっ飛ばしてたら、頭だけの理解で、いつまでたってもモヤモヤしたままだったと思います。
人は人、
違いを尊重し合う、
期待しない、
それは、みんな知ってるけれど、分かっていても心がおいつかないことって、たくさんある。
とくに、身内との関係は、自分の内側を容赦なく見せつけられるかな。
「まだあったか!これ!」
という、ドロドロモヤモヤを。
人の心は、言語化できない繊細で微妙な感覚というのがいーっぱいあって、
それを感じとれる喜びが、ソウルナンバー2の喜びなのかな。
これ、もちろん、「2」じゃなくても、
人間関係において、
多かれ少なかれ、みんなにあることですよね。
重なり合った部分の、両方に属するのが、2。
オムライスの下で、混ざっているのだろうか。