ちょうりんぼう(差別用語とその背景) | Also sprach Pinkglalem

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In a time of deceit telling the truth is a revolutionary act.
虚偽の時代に、真実を語ることは革命的な行為である。

J,N(ピンク‐グラレム)@pinkglalem17時間


岡っ引きの話に戻るが、以前 について調べたら、警察と加害者が知り合いだった節があって、加害者はモグリの風俗店をやっていた。実は風俗営業の許認可を出しているのは警察署だと言うのをこの時初めて知った。


J,N(ピンク‐グラレム)@pinkglalem18時間



和漢三才図絵に「穢多の為に郭(くるわ)あり。其の首魁を長吏と為す。」とある。前にも言ったけど、歌舞伎は日本の“恥”であって、伝統芸能ではない。廓、つまり売春宿の酒宴の余興で、これが現在我が国の伝統芸能だとされているのは、現在の権力者たちの出自が「 」だからである。



J,N(ピンク‐グラレム)@pinkglalem4月5日


調べてみると、「」「」が今の権力の裏構造を隠すためのモノだという事がわかる。「」と言う言葉があるが、司馬遼太郎は知らないで使って、糾弾されたが、知らなくて当然。この語源は差別用語ではない。「長吏」を調べればその由来がわかる。

 


J,N(ピンク‐グラレム)@pinkglalem19時間


長吏は元々役人の意味。時代劇に出てくる“岡っ引き”、アレは 。十手持ちとか税金の徴収役人などは全部「」。平民の忌み嫌う仕事をしていた。恨みをかう仕事。今でも四つ者、つまり~署と呼ばれるところの役人は「ちょうりんぼう」そしてヤクザと同じ人種。


J,N(ピンク‐グラレム)@pinkglalem19時間


「岡っ引き()はどうやって生計を立てていたのか?」 - 心の遊歩道 - Yahoo!ブログ

岡っ引きはどうやって生計を立てていたのか?




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多々良氏という戦国武将がいたんですけど... 百済聖明王の第三王子、琳聖太子の後裔と称していたんですが、任那(朝鮮半島の南部にあった地域)帰化族説もあります。

多々良氏の宗族としては、周防の大内氏、陶氏。



周防の大内と言えば、戦国時代にイエズス会のザビエルに布教を許して利益を得ていた人物(大内義隆)です。



戦国時代、大内義隆どのようにして、その栄華を誇っていたか?...これは他のキリシタン大名と同じです。彼らは火薬の原料である硝石を必要としました。その代金としてイエズス会の宣教師たちが要求したのが、奴隷です。

この事は千々石 ミゲルの証言で明らかです。これは以前に漕げよマイケル ; Michael Row The Boat Ashore...
と言う題でこのブログに書きました。

毛利家に滅ぼされた大内の家臣たちが下野して部落民になったんですが、その300年後に引きがあったnですね。昔馴染のイエズス会から...

日本征服の手引きを.....これが明治維新だったワケです。

明治以降の政治家や財界人がナゼ、被差別部落出身者ばかりなのか...?

こんなカラクリがあったのです。

「ちょうりんぼう」は長吏から来た言葉で、役人の意味。元々これは封建時代に支配階層(幕府)が、不満の矛先を自分たちに向けさせないために、役人の代わりを社会的マイノリティーである賤民階層にやらせていたんです。(ですから、彼らの汚職はある程度まで黙認していたのです。今でも四つの者、~署と呼ばれる役所の裏金作りは常習的)

この特異な社会構造を、イエズス会を中心とする欧米列強は植民地政策に用いました。

日本の現在の権力者たちは、皆かつての被差別部落民。ルワンダの例を見ればわかるが、これは完璧な植民地政策で、国内に不和を生ませて、宗主国に不満が行かないよーにしている。特権階級に搾取させ、その上前をはねる。似非ウヨクたちが在日でありながら、排外主義をとるのは、この構造の発覚を恐れて