阿部元総理の銃撃事件のことを思うといつも複雑な気持ちを抱く。大前提に山上被告の起こした事件は許されることではない。罪を償うべきであり、やり方は絶対に間違っている。
では、山上被告はどうすれば救われたのだろうか?
私は昔、職場の先輩から某宗教団体の信者の勧誘を受けていた。奉仕活動として、家に訪ねてくる宗教である。
私は信じる気にもならず、毎月渡される冊子を仕方なく目を通し、度々その先輩の家に来る様に誘われたが、取り囲まれるのが目に見えていたので「職場で会ってるからいいじゃないですか〜」とかわし続けた。
私の被害はそれくらいだが、先輩には登場中学生の息子さんがいた。聞くと某宗教団体は子どもが間違いを犯すと、聖書の言葉に則り、間違いを認めさせ、お尻を革ベルトやゴムホースで叩くという「教育」があるそうだ。
そうでなくても、クリスマスのイベントは子どもの集まりであっても禁止、体育も相手に攻撃するものは禁止など、とても厳しい。←親は「教育」するのに。
先輩は母一人息子一人の二人家族。息子さんは宗教二世で、先輩と宗教団体の人達、あとは学校の先生と周りの子ども達の世界しかない。息子さんの環境は自然と狭められる。
私は先輩の話だけを聞くことになったが、何年も経ってから息子さんはそれで良かったのだろうかと思うところがあった。当然何も出来なかったが、せめて、自分でこれがいいという道を選んでほしいなと思った。
山上被告の事件で急激にこのことを思い出し、どうすれば、この事件が起こる前に、山上被告が救われる事が出来たのだろうと考える。実際、阿部元総理の事件がきっかけで旧統一教会が解体された。
日本の元総理が亡くならないといけない程大事にしないと旧統一教会のやってきたことが罪に問われなかったの?それってどうなの?
確かに山上被告のやったのは殺人で、やり方は絶対に間違っている。今はSNSで発信することも出来る。でも、ただの一般人がSNSに発信したところで何になるのだろうか?ちょっと有名になったところで何か変わるのか?
山上被告がそこまで考えて行動したかは解らない。昔から宗教は個人の自由と言われる日本で、大人になり、いまだに母親が盲信し、家のお金を使い込み、更に自分にお金を無心し続けたら、もう個人の自由ではないと思う。
気の毒だとは思う。しかし、殺人を犯すことの正当な理由にはならない。犯罪に向かう前に、何か方法はなかったのだろうか。私には答えが出せないでいる。