この髪をうしろでまとめ、前髪をカールした鼻の高い女性、いったいだれでしょう?

この女性の言葉

「国を支配しているのは、男。その男たちを支配しているのは、私」

ヒント

*彼女は、紀元前1世紀に活躍した、古代エジプト、プトレマイオス朝最後のファラオ(女王)である。「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美しい声であったと伝えられる。

 

 

*プトレマイオス朝は、古代エジプトのヘレニズム国家の一つ(紀元前306年 - 紀元前30年)

 

 

*下は、プトレマイオス朝の位置。

 

 

*下は、プトレマイオス朝の首都、アレクサンドリア。

 

 

*彼女は、紀元前69年、アレクサンドリアのレギア王宮で、三番目の王女として生まれる。

 

 

*父、プトレマイオス12世(アウレテス)は、古代エジプトプトレマイオス朝のファラオ(王)、母は、その妹。

 

 

*下は、彼女の父、プトレマイオス12世。

 

 

*彼女は、小さい時から利発で、父、プトレマイオス12世に愛され、父親は6歳のときに教育者アポロドロスをつけて教育をした。とても覚えが早く、特に語学は堪能で、地中海近辺でつかわれる言語はほとんどできたといわれている。
 

 

*彼女は、活発な性格で、覚えたエジプト語を使いたいとエジプト人の漁師の町へでかけ、あやうく襲われそうになって護衛に助けられたりした。また、スポーツも得意で、なかでも乗馬の名手だった。

 

 

*彼女が14歳のとき、プトレマイオス朝では、父と、彼女の姉であるベレニケ4世が、王位を巡って争い、父がローマの実力者ポンペイウスの支援を得て勝利して、ベレニケ4世を処刑した。このようにエジプト国内は不安定な状況下に置かれていた。

 

 

*下は、ベレニケ4世。

 

 

*下は、ポンペイウス。

 

 

*彼女が、18歳のときに、父、プトレマイオス12世が他界した。父の遺言とプトレマイオス朝の慣例にのっとり、兄弟姉妹で最も年長の彼女が、まだ10歳である弟のプトレマイオス13世と兄弟婚を行い、共同で王位に就いた。

 

 

*彼女は、強大なローマとの同盟が唯一エジプトの存続の道であると考えたが、弟との共同統治は、弟の側近の介入により齟齬をきたした。

 

 

*彼女が、20歳のとき、ローマ帝国では、カエサル派とポンペイウスら元老院派との間で内戦が勃発した。

 

 

*下は、カエサル。

 

 

*彼女は、父王時代からの繋がりで、ポンペイウスの元老院派を支援した。ポンペイウスの子、小ポンペイウスがアレクサンドリアを訪れて、彼女に兵員と食料の協力を要請した時、女王である彼女は、小ポンペイウスに対し、予想を上回る兵員及び食料を提供した。この際に小ポンペイウスの愛人となったとされる。

 

 

*しかし、彼女が21歳のとき、ローマからの独立を標榜する、弟で夫であるプトレマイオス13世派は、この彼女の動きに不信を募らせ、アレクサンドリア住民が親ローマ主義の彼女に対して起した反乱に乗じてクーデターを決行し、彼女を東部国境のペルシオンへと追いやった。

 

 

*一方、ポンペイウスはファルサルスの戦いで、カエサルに敗北した後に、エジプトに上陸したが、プトレマイオス13世派に殺害されてしまう。

 

 

*彼女が、ペルシオンで、プトレマイオス13世派と戦闘していたとき、エジプト入りしたカエサルは、和解を図ろうとして、両共同統治者(彼女とプトレマイオス13世)をアレクサンドリアに招集した。

 

 

*しかし、戦闘中の彼女が、プトレマイオス13世率いる大軍を突破して、アレクサンドリアの王宮に出頭するのは容易でなかった。

 

 

*そこで、彼女は、自らを絨毯にくるませ、カエサルのもとへ贈り物として届けさせ、王宮へ入ることに成功したといわれている。古代エジプトでは、贈り物や賄賂として宝物を絨毯に包んで渡す習慣があり、彼女は、宝物ではなく自らの身体を贈ったのだとする。

 

 

*下は、絨毯の中からカエサルの前へ現れる彼女。

 

 

*この時、彼女は、カエサルを魅了し、彼の愛人となった。これを知ったプトレマイオス13世は「怒り心頭に発し、王冠をはずし、地面に叩きつけた」といわれる。

 

 

*プトレマイオス13世側は、カエサル軍に攻撃を始める。カエサルは、ちょうどエジプトへ到来したローマ軍を使って、ナイル川の戦いでプトレマイオス13世派を制圧した。

 

 

*プトレマイオス13世が他界した後、彼女は、もう一人の弟プトレマイオス14世と結婚し、共同統治を再開した。

 

 

*下は、プトレマイオス14世。

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*彼女は、22歳のときに、カエサルの子カエサリオンを産んだといわれる。プトレマイオス14世との共同統治はカエサルの後ろ盾を得て成立しており、実際には、彼女が単独で統治していた。カエサルの傀儡政権であったともいえる。

 

 

*彼女が、23歳のとき、カエサルが10年間のローマの独裁官に任命され、凱旋式を挙行した。彼女は、カエサリオンを連れてローマを訪れる。彼女は、カエサルの庇護のもと目立たぬ形でローマに滞在していたが、2年後に、カエサルが、ブルータスに暗殺されると、カエサリオンを連れ急遽エジプトに帰った。

 

 

*彼女が、エジプトに帰国した頃、名目上の共同統治者であったプトレマイオス14世が他界すると、彼女は、幼いカエサリオンを共同統治者に指名した(プトレマイオス15世)。

 

 

*彼女が、27歳のとき、ローマの軍人、アントニウスが、フィリッピの戦いで、ブルータスを倒した。

 

 

*下は、アントニウス。

 

 

*彼女は、アプロディーテー(愛と美と性を司るギリシア神話の女神)のように着飾り、香を焚いてムードをつくって、アントニウスの元へ訪れると、瞬く間にアントニウスを魅惑したといわれる。

 

 

*下は、彼女とアントニウス。

 

 

*その後、アントニウスは、オクタウィアヌスの姉オクタウィアと離婚すると、彼女と結婚し、2人の間には、双子の男女の子が生まれる。

 

 

*アントニウスは、東方遠征を行いアルメニア王国を攻撃して国王アルタウァスデス2世を捕虜とした。その後、アントニウスはローマではない、エジプトのアレクサンドリアで大々的に凱旋式を挙行した。

 

 

*そのうえ、アントニウスは、自分の埋葬をエジプトですると希望する遺言状を書き、ローマを見捨てたかのように振舞ったため、ローマ市民は失望し、オクタウィアヌスを強く支持するようになった。

 

 

*下は、オクタウィアヌス。のちに、ローマ帝国の初代皇帝となる。

 

 

 

*最終的にオクタウィアヌスがアントニウスに宣戦布告した時、この戦いは私闘ではなく、「ローマ対エジプト」という構図にされていた。

 

 

*彼女が、38歳のとき、アントニウス派およびプトレマイオス朝(エジプト)の連合軍と、オクタウィアヌスが率いるローマ軍が、ギリシャ西岸のアクティウムで激突する(アクティウムの海戦)。

 

 

*この海戦の最中に、彼女は戦場を離脱し、アントニウスも彼女の船を追って逃亡、ともにアレクサンドリアへ戻った。結局、アントニウス派およびプトレマイオス朝の連合軍は、追跡してきたオクタウィアヌス軍に敗北を喫する。

 

 

*アントニウスは部下を置き去りにし、女を追って戦場を後にしたと嘲笑されることになった。

 

 

*帰国した彼女は、オクタウィアヌスとの外交交渉を試みるものの、条件面などで折り合いがつかず失敗に終わった。この結果、カエサリオンを国外へ逃がすことを決意し、実行に移した。

 

 

*しかし、ローマ軍はアレクサンドリアにまで到達し、アントニウスは残存する全軍を率いて決戦を挑むが、海軍の寝返りなどで失敗した。

 

 

*そして、アントニウスは、彼女が他界したという誤報に接して自殺を図る。

 

 

*それを知った彼女の指示により、アントニウスは他界寸前で彼女のところにつれてこられたが、息を引き取った。

 

 

*やがて、彼女は、オクタウィアヌスの捕虜となった。

 

 

*オクタウィアヌスは、彼女が自殺することを警戒し、厳重な監視下に置いていたが、彼女自身はオクタウィアヌスに屈することを拒んで自殺した。彼女は、39歳であった。

 

 

*彼女は、贈答品のイチジクに忍ばせていたコブラに自らの腕を噛ませて自殺したのである。オクタウィアヌスは彼女の「アントニウスと共に葬られたい」との遺言を聞き入れた。

 

 

*下は、彼女が、コブラに噛まれたところ。

 

彼女の好物はモロヘイヤだと伝えられている。
モロヘイヤは紀元前から中近東で栽培されている青菜で、アラビア語で「王様の食べる野菜」という意味である。
モロヘイヤにはビタミンや血液をサラサラにして皮膚のキメを整える効果のあることで知られているミネラルのほかに、お肌をしっとりさせる水溶性ミネラルのムチンが豊富に含まれている。
彼女が美人だったのは、食べ物から美肌作りをしていたといえる。

また、彼女は、バラの香りを好んだと言われている。

ローマ帝国のアントニウスを自宅に迎える時は、部屋中にバラの花びらを敷き詰め、それは膝まで埋まるほどであった。
時の英雄達を虜にしたのは、その美貌だけでなく知性も含め、トータルで素晴らしい女性であったのだが、それだけではなく、彼女には、香りで男性を魅了するという秘策があったのだ。