「共依存」と発達障がい。

 

果たして共依存の要因として親と子(またはどちらか)に発達障害があるのか。いや、多分両方だと思います。発達障がいは遺伝的要因が大きいそうです。

 

共依存の定義を内閣府のHPで見つけました。「人間関係そのものに依存するというアディクション(addiction:嗜癖・依存症)の一つであり,正式に学術用語として定義されているわけではない、,一般には「相手との関係性に過剰に依存し,その人間関係に囚われている状態」である。

 

その過程では、自分らしさを失い(緒方、1996)、他者によって自分の欲望を定義されてしまう生き方になる(Giddens A)。

 

共依存の人は自分の抱えている問題を見ず、他者の問題に目を向けて、その処理を引き受けて自己犠牲と感じる。結果的に、自分自身も大切にしない、と書かれていました。

 

自分自身を大切にしないことでイライラや怒りが生じて虐待や暴言などに繋がるそうです。

 

発達障がいを患っている人は、自己肯定感が低いが認めたくな性格だそうです。人間関係がうまくいっていない人が多いから相談できる人も少なく孤立しがちでもあります。

 

弟は、子どもの時から勉強が出来ず、学校をクビになった。他の学校に入れようとしたが、受け入れてくれず、周りが言うには私がとても優秀な学生だったので「私の弟なら」、ということで私の学校に転校してきた。でも、勉強だけでクビになったわけではなく、素行が悪かったらしく先生たちは問題視した。けんかしては嫌われ、結果的に仲間はずれにされることが多かった。クビにされた日、校長先生から「あなたがたは息子さんをホワイトエンジェルだと思っていると思いますが、本当はブラックエンジェルなんですよ」と現状が見えていない両親に言った言葉がある。私は大人になって校長先生の言葉が理解できた。

 

その後、「大学へ行きたくない」と、言っていた弟に両親が頼み込んで大学へ行ってもらい、どうにか引っかかった公立大学へ行くことになった。でも、どうしても帰国したい気持ちが強かったため、卒業に向けて私に頼ってきて、彼の卒業論文を私が書いてあげて無事に卒業した。

 

就職も、私のコネを使って入った。でも、ここでも同僚や先輩たちと人間関係がうまく行かず、私は上司に呼ばれて弟のクビの宣告を母と一緒に聞いた。上司に迷惑をかけた申し訳無さと、弟がなぜこんなにうまく行かず私に泥を塗ったくやしさで私は涙した。

 

その後も、就職してはクビになることを繰り返した。どうにか手にしたコンサルの仕事も、自分より10も20も若い成年たちと同じエントリーレベルの扱いになって嫌な気持ちもあったし、自分の直属の上司がお局様だったことからいびられる日々を送った。ドンドン仕事を回してもらえずコンピューターを開いたままの状態でテーブルに置いて時間を稼いでいたのを思い出す。「やめてほしい」と言われて退職金を受け取って、失業保険にお世話になっていた。

 

しかし、年齢とともに仕事も見つかりにくく、自分で起業しようとするのだが、これも続かない。和牛のブローカー、ITワークの派遣、まぐろの卸し、不動産。いろんなことに手を出したが続かない。

 

当の本人は自分の問題だとは築いておらず、他者に責任転換をして、親の庇護のもとで厚かましく生活を続ける。

 

人との距離感が取れない、自分が周りにどのように思われているかも分からない。障がいかもしれない、って思うと、「仕方がない」ってあきらめちゃいそうです。でも、あまりにも性格が悪いので、障がいであろうがなかろうが、ひどい、としか思えません。

 

 

 

 

 

 

弟の暴力がこのままエスカレートするのではないか、という不安を抱えて私は近所の交番に行きました。


交番に行くと奥から30代くらの若い警察官がいました。


「この近所に住むものですが、暴力で悩んでいて、相談したいですがよろしいですか」


相談してみると、警察官は親身になって聞いてくださいました。聞きながらメモも取り、落ち着いtsやり取りができました。


警察官が「弟さんの暴力に対してなにをしたいですですか」


日本では家族に対して接近禁止令がないそうです。弟を処罰するのであれば刑事事件を起こさないといけないとのこと。


結果的に相談の報告記録を残すことだけになりました。


交番を出て家に戻ると、さきほど話していた警察官から電話があり、平日に警察署の生活安全課に行くようにアドバイスをいただきました。


でも、月曜日まで待てない。早く行動に移さないと。


DVのホットラインに電話をしてみると優しい声の女性が出られて対応してくれた。でも、家の中の暴力は扱わないらしい。相談員の方から子どもたちの安全にも関わることであれば児童相談所に連絡してみては、とアドバイスを受けた。


姪っ子たち、特に下の子の安否を考えれば児相に伝えることも大事だと思った。実際に弟がに暴力されている時、警察や児相を呼ぶ、と訴えたことがありました。あの時、呼べば良かった。


児童相談所には仕事柄、知っている人がいてかけることを少しためらいました。でも、守秘義務もあるので相談することにしました。


日曜日と言うことで、お留守番的な立場の人が相談を受けてくれた。内容を聞いてもらうと、平日の本職員がいる時に再び相談するように勧められた。


問題があればもちろん介入して一時保護などの対応はできる、と言われました。でも、何か起こっていなければ介入が難しいとのこと。


姪っ子の学校にも姪っ子が問題行動を起こしていることで心配した学校から「学業の問題」として呼び出されたことが3度ある。「その学校と連携をとってもらうことはできませんか」そう聞くと、それも可能だが積極的には難しいような表現でした。


虐待の定義は、身体的、性的、精神的暴力、ネグレクトなのに、言葉の暴力だけじゃ動いてくれないような態度を感じました。。


また、暴力は誰であっても暴力は変わらないのに、ストーカーや夫でなければ接近禁止命令が出せない、と言うことです。


交番の方の勧めで警察署の生活安全課に行ってみましたが、やはり家族内の暴力は扱わないとのことでした。でも、何ができるか相談を聞きましょうと言って部屋に通してくれた。


ここでもやはりできることは刑事事件しかない、と言われて、実際に暴力が起きて通報されないといけない。


「私の生活する権利が脅かされていて、困っています。交番では一日も早く引っ越しすることを勧められるました。それも良いアドバイスですが、費用や負担が出ます。私の権利を守ってくれる方法を知りたいです」


「でも、弟さんを拘束することはできません。事件を起こさないかぎり自由に動く権利があります」


結果的に県の弁護士会に相談することを勧められました。


皆さんとても親身に聞いてくださって、とてもありがたかったです。でも、結果的に自分で対処しないといけない。本当に孤独です。


警察署の方が言った言葉で少し見えてきました。


「弟さんは何らかの精神障がいはありますか」


共依存は確かだが、その要因となる精神疾患はどうだろう。以前から発達障がいがあると思っていました。








今日は息子と姪っ子2号が通う合気道教室で弟に会いました。合気道道場に来ることを嫌がっていて教室からの連絡や送迎を私に任せていた弟なのに。


唯一私たちに会えることを期待して来たとしか思えない。


子どもたちが水を飲む休憩に入ると、弟は息子をつかまえて怒鳴り出しました。


「おい、おじさんへの挨拶はないのか」


息子は弟の威圧的な言葉を覚えていて怖がって凍ってしまいました。


「おい挨拶しろ」と何度も繰り返す。


息子は泣きはじめました。


「気付いていないかもしれないじゃない」私は息子を慰めながら弟に言った。


でも、弟は脅迫めいた要求を止めない。


「○○、おじさんに挨拶しろ」


水飲みの休憩時間も終わり、まだ泣いている息子に「泣かないで」と言いながら、マットに戻るように促しました。


弟の言動は止まらず、稽古が始まっても私への言葉の暴力が続きます。マスクとメガネと深くかぶっている帽子で、わずかしか顔が見えませんでした、目に焦点がない泳いでいる目に見えて不気味でした。弟は性格的に人の気持ちなどかまわないし、私たちを抑圧するためにわざわざ道場に来たのです。


「身体が不自由な父親とリウマチの母親をおいて、全て俺に任せて」


「正月も挨拶に来ない」


「今までお前の学費にかかったお金を返せ」


「何が大学教授だ。言っていることとやっていることが違う」


私は「黙りなさい」と何度も諭すのですが聞きません。弟の隣りに座っていた保護者のお母様が弟を避けるように身体を動かすのが見えました。


先生も声をあげている弟の脅迫を消すように、指導に勢いと明るさをつけて声が大きくなっていました。


でも、私は再び身震いを感じはじめて身体の震えが止まりません。


「もういい加減にして」


「もう黙って」


「10年以上もまともに働いたことがないくせに何を言っているの」


ふりしぼった言葉が、弟の目を見ると動揺したように見えました。


「俺、働いているよ」声が一瞬弱く小さくなりました。


でも、そこから再び挨拶しない息子について私のしつけを批判し始めたのです。


私はマットでまだべそをかいている息子と目が合い、息子に呼び掛けました。


「○○、帰ろう」


「先生、私たち帰ります」


息子を呼び寄せて、荷物をまとめて教室を出ました。


「ごめんなさい」息子がなぜか謝ります。


「いいのよ、気にしないで。帰りましょう」


私は外に止めてあった自転車に荷物と息子を乗せてこぎました。外はとても寒かったですが、太陽が出て清々しい冬の朝でした。道場が始まってからまだ30分も経っていないくらいだったので10時半くらいでしょうか。


私たちは家に荷物を置いてから警察に行きました。








ブログを読んでいただいている皆さん、ありがとうございます。


実家と縁を切ってから約1ヶ月が経ちました。その間にも変わらずに実家の母と弟に意地悪されています。


実家を出てすぐに二人から実家の会社の定款を変えるのではんこを出せと言われました。


「使ったら返してくれる」ことを条件にしぶしぶ渡しました。1本出すと、これじゃないと言って2本出せと言われました。1本は生まれた時に両親に作ってもらったものだったので、母はそれを返せとうるさかったのです。もう一つは自分が作ったはんこでした。


「ええ、これも?いやだよ」


でもはんこを取りに来た弟はさがりません。


「返すから、出して」弟がそういうともう一本も渡しました。


渡した後にもちろん後悔します。


LINEで弟に連絡すると、「母は返さない」と言っている、「自分で作りなさい」とのこと。


「自分で作ったはんこは返して欲しい」と言うと、


「不本意ですが仕方ない」と訳のわからない回答。


この人たちは意地悪だけではなく、信頼も出来ない人たち。


私は仕方ないのでネットで早急にはんこを作り、印鑑証明も変えました。


印鑑を変更したので銀行にも届けました。銀行では、時間はかかりましたが、思ったよりスムーズに進みました。


住民票だけ移しただけでは済まない。免許証も保険も。


いろんなことも変えないといけないのです。


印鑑についてですが、弟の思惑通りにもう会社の定款を変えていると思います。


ここまで進むと、ホントに縁がないと思います。


後はここの近所からの脱出です。どうにかここから出たいです。









今日は土曜日。


息子と姪っ子が通っている習い事の日です。新年になって初めてのおけいこ。姪っ子に会うのは昨年に母と弟と喧嘩して以来。こどもたちが学校から帰宅する前に事が起きたので、姪っ子たちに会わずに、さよならも言わずに居なくなりました。


習い事に行ってみると早速姪っ子を発見。相変わらず4年生なのに小2くらいの体つきです。会っていない間ももっと小さくなって見えます。


別に太っていないのに、変なふうにダイエットしている小学生。甘いものがめちゃくちゃ大好きで隠れて食べているのを何度も発見されているのに、私たちの前では食べることを我慢して断ります。


実母は彼女たちがまだ1歳半と3歳くらいで出て行ったので、私の母が母親代わり。「おばあちゃん」ではなく「ママ」と呼ばせています。


そんなママはママらしくありません。一緒に遊んでもくれないし、本も読んでくれない。お節句の用意もしないし、クリスマスプレゼントも買わない。


ただお母さんヅラして子どもたちを「しつけ」という名のもとで飼っている彼女たちに暴力をしている奴隷の主人です。


勉強できないと暴力を振るいます。下の姪っ子がめちゃくちゃ出ていった実母に似ているので、それでだけで小学校の少女に「この女」と呼び罵倒するのです。


食べるものも「食べすぎ」「あんたたちのせいでエンゲル係数が上がっている」と言い、酒を飲んで機嫌がいい時に「大人のおつまみ」と称する自分の食べ物を少し分け与えてくれたり、ホテルで顔馴染みのホテルマンたちの前で気前のいいマダム気取りにケーキやパンを買ってくれる時だけおこぼれに恵まれます。


そんな姪っ子は好きなものといえば、全て母が美味しいと認めたもの。本人の好みなんてないのです。


「お誕生日のケーキはレモンケーキがいい」自分のお誕生日の時でさえ母の好きなケーキを選びます。


私が彼女たちを少しでも解放させてあげようと好きなものを買いに出かけると「ママのために何かおみやげ買って行こう」と嫉妬深い、自己中心的な母を気遣います。


彼女のことを見ていると、小さかった頃の私を思い出します。訳分からずにぶっ叩かれた子ども時代、怯えて許しを求めても打たれていました。


母が常に自分の部屋で寝ていたり、こもっていました。私と遊ぶことなんてほとんどありませんでした。


母が夜遊びでいないと、私は家を守って弟の世話をしていました。寝る前に母に申しつけられたことをやったことや「心配しないでね」と母に綴った手紙はたくさんあります。


父が母の言うなりになってくれないことが多かったらしく、結婚記念日や婚約記念日や入籍記念日を私が子どもながら気を遣ってプレゼントしていました。お金がたくさんあるわけではないので、かりん糖の袋とかでしたが母の機嫌ばかり取っていました。


姪っ子はまさに小さい時の私そっくりです。ただ私はストレスで食べ物に走り太っていましたけど。汗


これって「共依存」っていうメンタルな問題だと知ったのは大人になってからです。


私も姪っ子も母がいないとダメな状態にされています。自分で判断できなかくて母が全てにおいて何がいいか決めるのです。


私たちは常にバカ呼ばわりされて、一人で何もできない、「私がいなきゃ駄目な子よ」にされています。自尊心が全くない状態にさせられているのです。


そんな姪っ子を見ていると本当に哀れです。特に本人の精神状態だけではなく発達にも影響しているのですから。事態は深刻です。






こんにちは。


昨夜は雪が降って都心は白い世界に変わってホントにきれいでした。でも、我が家は急な坂の途中にあるのですが、朝から車や自転車の人が滑っていて家の窓から見るだけでもハラハラドキドキ。凍った坂を上がったり下がったりしている音がこわかったです!!!


新年から7日目。七草の日ですね。今年は雪のせいで家で静かにしていた。


家族の問題を少しずつ伝えています。みんなもちろんびっくりします。あんなに仲がいい家族なのに、って思われる。でも、そんな家族が仮面家族で恐ろしい暴力が起きていた、って知ると驚かれる。


私が被害者のように語るのはどうかなって自分のことを疑うことがあります。今日も思わず8歳の息子に『お母さんがあなたのおばあちゃん、おじいちゃん、従姉妹やおじさんを奪ったことはどう思う?』


息子は私を慰めるために言ってくれているのかも知れないけど、『ちょっと寂しいけど、今は幸せだからこれでいいと思う。前はイライラしていて学校の友だちにまでイライラしていたけど、今は気持ちはイライラしない。お母さんと一緒だったらそれでいい。』


いとこ(私の姪っ子)にいつもちょっかい出されていて、父親ゆずりの変な上から目線で関わってくる。でもその影には嫉妬や怒りが彼女なりにあって、私も彼女の扱いに苦労しました。


おばあちゃんには意地悪な言葉を言われていました。『汚い』、私に甘えている息子を見ると『母離れできていない』、猫を触ろうとする『触らないで』等。


おじいちゃんからも罵倒されて、おじさんからは暴力されて。


彼を2年もこのような状況に置いてホントに申し訳なかった。


息子が少しでも穏やかな生活を得られていることにホッとしました。


この平穏がいつまでも保てられますように。

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


このブログは未婚シングルマザーになっていく過程をブログとして始めましたが、2020年から家庭内暴力を経験している女性のブログとして変化しました。


今年2022年は、勇気を持って堂々と自分らしい生き方を目指す女性のブログにします!✌️応援よろしくお願いいたします🎵


さて、昨年書いた内容のつづきです。


私は実家を飛び出て、お腹を空かせてはいたけど息子の帰宅のことが心配でした。息子が間違えて実家に行かないように私たちのアパートに戻ってもらわないといけない。


私は息子が下校時間になるのを待ち構えて子ども携帯に何度も電話した。ようやく繋がると、息子は「学校で電話鳴って、先生に切りなさいって言われたよ」


ゴメン🙇💦💦


息子は無事に我が家に戻ってきた。もちろんどうして実家に帰らないのか聞いてきた。説明すると、息子は素直に受け入れてくれた。


家には食べるものがないので、スーパーからお惣菜を買って食べさせた。


アパートには電子レンジ、テレビ、炊飯器、大したお皿やコップもない。でも、そんなことどうでも良かった。自由への一歩を踏んだ。


もう戻りたくない。


実家の鍵も返して、息子の勉強道具、バイオリンだけはもらいに行こう。


次の日、「ものを取りに行きたい」とLINEで実家に伝えると、「話しがしたい」と言われる。


実家に行ってみると、袋に勉強道具、昨年の両親の結婚記念日に購入したカーテン式イルミネーション(クリスマスで飾っていたのをわざわざ外したらしい)、iPadと任天堂Switchが入っていた。


自転車と自転車のタイヤ空気入れもお願いしたら渋々受け渡してくれた。


弟に鍵を返すと、弟は「なんで鍵を返すんだ」と聞いてきた。


「謝らないのに、話す気はない。私が出て行ったら嬉しいでしょ。あなたが得するんだからこれから好きにやればいいじゃない。」


「半身不随の父親を置いて!そんなことしたら良いことないぞ。絶対に許されないぞ。バツが待っているぞ。後悔するぞ!」


弟は何度もバチが当たると私を脅かした。


私の母も私を脅して私をコントロールしてきた。家の窓には母の影が見えた。弟が吐いているこの言葉も全て母の言葉である。言葉の端々に母の声が聞こえる。


弟は自分の言葉なんてひとつもない。母が言うことが全てであって、母の言葉を自らの言葉のように話す。元嫁に話す時も母の言葉だった。今回も一緒だろう。


「私はそれでもいい。これからの50年は自分のために生きる。」


そうすると、弟は母親が用意した言葉以外に言うことがないので、その場を納得したように背を向けて家の中に入って行った。


もうこの人たちと会う必要はない。


家族と離れることは悲しい。自分のものや思い出も置いたまま離れる。息子からおばあちゃんや従姉妹を奪うことになる。


でも、私はこのチャンスを奪って前を向かわないと再び泥沼のなかにはまってしまう。


占い師の先生からの言葉を思い出して、先生のおっしゃったことが目の前で実現したことに鳥肌が立つ。


これから可能性が広がる。この先は希望しかない。







これからクリスマス、正月、息子の誕生日、お祝いごとの準備があるのに、実家と決別。


季節のイベントの準備は私が担当していた。クリスマスの料理、サンタクロースのクッキー、プレゼントの購入。正月はお餅づくり、おせち、お雑煮。息子の誕生日のケーキをオーダー。全て私がやってきた。母たちにとってはメイドがいなくなって困っている。


母は弟を使ってSNSで話の時間を求める。でも私は「もう話すことはない」と断った。


出て行ってから数日たった時、弟が通学する息子に出くわした。


「おはよう!」と弟が脅かすような声で息子に怒鳴った。


息子はびっくりして声を失ったらしく、立ち止まって凍っていた。


すると弟が「おまえ挨拶できねえのか?」と再び脅かした。


以前も同じ理由で息子をぶっ叩いたことがある。息子は涙目になり、下を向いてしまった。


私は息子のそばに行き、息子を抱きしめた。「大丈夫だよお母さん一緒だから平気」


もうこんな思いをさせたくない。これを機に遠くに引っ越すべきか。スパッと関係を経つべきではないか。


息子が寝入ってからネットで家を探す。でも良さそうな物件が手が出せない家賃だった。私は流れに逆らわず、流れに任せて動くことにした。自分の財布にあったいい物件がないのは引っ越しをしちゃいけない、という意味だろう。


母たちからの意地悪な仕打ちは止まらなかった。


母がある日、傘を握って家に乗り込んできた。家の中をなめるように見た。自分のものを物色するように。


「私、これずっと探してた!」私が両親の結婚記念日に香港の高級ホテルの宿泊とディナーをプレゼントしたことがあった。そのお土産ということでホテルの部屋に置いてあった石鹸と木彫りのケースをもらった。それが約15年くらい前だった。


「私が、もらったものです」


「どこ行ったかずっと気になっていた」うそつき。いつもこんな言い方して自分のものにしちゃう。昔の私だったら、「あげる」と言って何でも私のものをあげていた。自分のために買った靴やアクセサリーはいつも母に取られていた。取られても使わないことが多いのも母の特徴である。奪ったことに喜びを感じているだけなのだ。


「自分のものだと言うなら持って行けば」物欲なんかない。


自分が一番欲しいものは買えないものなのだ。


私はここ数日間で再び突発性発疹ができていた。以前もできたことがあった。発疹はストレスからなっていると思う。前回同様、左腕にできる。乳癌の手術をしたほうだ。


「もうお願いだから行って。話しなんかしたくない。もう体がストレスを訴えているので、これ以上病気になりたくない。」


大声でのやり取りは発疹で真っ赤になった腕を見せた後ようやく終わった。本人は帰って行った。









私は夜の暴食、断酒、記憶力の低下、抜けない疲れに悩まされました。父の介護をしていてため息がでちゃったり、息子のお世話も面倒になってきました。


母のひどい意地悪や身勝手な態度にヒヤヒヤしていたのでずが、高笑いし始めて訳のわからない笑いに変えてその場その場をしのいでいました。


死にたいって思うことも多くありました。


そんな状態にいた私は目先が真っ暗な状況でした。


でも、神様は決して私を見放していませんでした。


その日が来ました。


いつものようにバタバタと朝が過ぎて、子どもたち、父を送り出した後、私はオンラインで仕事でした。


「ここでやれば」と母に言われたのですが私は断って自分が借りていたアパートでやることにしました。ランチ時間までに戻ってくることを伝えて家を出ました。


実家で何回か仕事したことはあったのですがその度に弟が大きな音でテレビを観ます。録画した放送を観て時間を潰しています。


人に不愉快な思いをさせるのが趣味でホントに意地悪なんです。


私は午前の仕事を終えると、さっさと実家に戻ってランチの支度に取りかかろうと思いました。ダイエットを理由にほとんど朝は食べない母なので昼は「栄養をしっかり取りたい」と言います。したがって、ランチは彼女にとってメインイベントなのです。母に気遣い、私は料理していました。


家は二つあるのですが私たち親子が実家で食べることがほとんどなので私はミルクやたまごやお米まで実家のために購入していました。母が車に乗らないことが多かったので買い物は私か弟になります。でも弟は自腹で出すことは全くないし、車もあるのに買い物してくれません。結果、私が足りないものに気付き、購入してきます。


自分で買ったものを理解しているので、実家に帰ると何を作るかアイデアはありました。


でも、本当は一日中家にいる母や弟が何か作ってくれれば助かるのに、二人はテレビの前に座って録画した番組を観ていました。それもサンデージャポン。


二人を見つけた私は「ごはんにする?」って問いかけてみたら、母が違う話をし始めます。


「私プールに行きたいんだけど。ちょっとあなたのスケジュール教えてよ。」


私はこの1年と10ヶ月は同じ日程で動いているのに今さらそんな会話です。


「日程っていつも一緒よ。今日は4時までです。」


「じゃあ、あなたここに残って子どもたちを迎えてよ」


「え、どういう意味?」


やはりそういうと思った。


「じゃあベビーシッターさん雇って息子のお迎えはお願いいたします」


「そんなこと言ってるんじゃなくてちょっと座ってスケジュール書いてよ」


スケジュールは既にオンラインで共有していて二人はアクセスできていました。オンラインで共有していたのも同じようなクレームを言ってきて共有することになりました。


母と弟は同じことを繰り返す堂々巡りが大好きです。


「仕事は火曜日から木曜日、金曜日の夜に塾。土曜日の朝は仕事。日曜日の午前はサッカーでしょ。ずっと一緒じゃない」


私はもう呆れていました。母たちは病院の外来にいく以外は全く予定がないのです。父が朝9時から夕方5時まで基本的に自由なのです。


でもいろんなイライラを抱えていて私をいじめるような会話に持っていきます。


弟も参戦します。


「金曜日の塾を変えてよ」


「もう2回も変えているからもうこれ以上買えない。それに病院の外来にいくのは月1回のことでその度に私が姪っ子1ごうのお迎えに学校へ行っているこれ以上何をして欲しいの」


しかし弟は変えろと食い下がってくる。母は黙って聞いている。


私は母に向かって「プールへ行ってください。問題ないです。今日だってこれからいかれるでしょ」


「私はあなたの日程わからないから緊張して1日待っているの」


私は呆れていた「日程はいつもと一緒」


「忘れちゃうから座って書いて」


私はもうこの会話を何度も味わっていた。もう同じ会話はしたくない。


弟が「おまえは何にも貢献していない」と言い始めた。


私の頭の中では今までやってきたことがクルクルと回っていた。


姪っ子たちが着ているものや読んでいるもの全てを私が購入していた。


お祝いだって、クリスマスの用意だって全て私がやっている。


平日もそうだが週末も父と子どもたちをひとりで相手している。


私は弟に「貢献してないってどういう意味?お母さん、姉に対して『お前』って言うし、貢献してないって言うの。注意してください。」


もちろん、母は何も言わない。


私は「貢献してない」って言葉を何度も言う弟に怒りを覚えて、座っていたテーブルから立ち上がって言った。


「冷静に黙って聞いていたら言いたいことばかり言って。貢献していないって言うなら本当の貢献していない状態にしてあげる!もうこの家からでていく!」


私は泣きながら実家を出て行った。ごはんも食べていないがもうどうでもよくなった。


私はその日から実家へ行かなくなった。