Burning bridges。


この表現は英語で人間関係を悪くするって意味があります。


母と弟はまさにこの王道を歩いています。


父が倒れてから母と弟が実家の家業を継いだのですが、この3年間で2つの裁判と戦っています。


1つは、お客様を追い出すためにわざと高い家賃を請求。出て行かれた後に訴えられました。


2つは、業者さんの仕事をマイクロマネージした挙げ句、業者さんが疲れはててしまい、ある程度仕事を終えたら去って行ってしまいました。コロナに入ってから訴えられました。


今は不動産会社と揉めています。こちらもしつこい要求ばかりして先方が「お宅の物件扱いたくない」って言ってます。


その他に揉める種になる候補が待っています。


高齢者たちを相手に弟は自分のやり方を押し付けて相手が聞かなければオールオアナッシングを突きつけたり、従業員に命令して「俺の言うこと聞かないといいことないよ」と脅したり。


母の友だちを紹介しても喧嘩して去って行っちゃう。でも毎回、弟が悪いのではなくて友だちが悪い。


私も職場を紹介して私のことを思って雇用していただいているのに、1年弱で問題起こしてクビ。


自分が就職口見つけても即クビ。


自分だけではなく周りの人間関係もダメにするんです。


誰に似たんだろう。


もちろん母親。美しくて人気者だった母だけど、意地悪さは天下一品。忠誠心がない人は即いじめにあいます。


母も弟も自分の話ばかりして人の話を聞かないんです。ナルシストがお目見え。Me me me me !!

常に自分なんです。会話のキャッチボールができなければ、友だちも逃げていくよね。友だちは、バーカウンターの雇われお兄さんじゃないし。


コミュニケーションができない、私の友だちとの関係が悪くなる、家族でも許せません。


うちの会社に出入りしている大切な業者さんと弟の関係が上手く行っていないことが分かった時、私があいだに入って一言ずつから代表者している母親に伝えてどうにか仲違いを免れた。


弟を救うのはこれが初めてじゃないです。もうしょっちゅうやっています。


救えないときもありますよ。ある時、業者さんから内容証明が届いてびっくり。支払いが数週間遅れたことで一緒に仕事できないって理由で取り引き関係を断絶。あれれ ?手広くやっている業者さんだし、たった数週間それも1回だけなのに内容証明!!!母から話を聞いてみたら、弟が天候で仕事を何度かドタキャンさせたらしい。


めちゃくちゃです。


母は弟のせいで裁判になり、余分な出費が出ていることにイライラしています。でも、決して身内は悪くないと思っているので戦う気いっぱい!


こんな親子についていけなくなりました。もう限界です。


母はとても美人で有名だ。


小さい頃から可愛かったので周りからとても可愛がられて育てられた。


大きくなるにつれて今度は異性にモテて、ふった男性は数知れず。でも同時に女性たちには嫉妬されていじめられたそうだ。


そんな母は、ナイーブでシンプルなブ男の父を選んだ。父はブ男でもおぼっちゃま学校に通っていたので裕福なサラブレッドだった。


母はそんなサラブレッドに惹かれたらしい。


母の大好きなドラマは「花よりダンゴ」。私に「観なさい」と言ってうるさかった。夢見る少女のような幼稚な話に母は取りつかれていた。


母は典型的なロマンチストで、自分の思い描くメルヘンの世界がある。でもその世界が思ったように創れないとものすごい怒りで爆発する。


クリスマスなどの行事になると高級シャンパンとテーブルには私に作らせたご馳走。それをパチパチ写真に収める。でも、母はそこで終わらない。


自分にお酒を注いでもらっている写真。

シャンパングラスに頬を寄せた写真。


きれいに撮れた自分の写真をSNSで自慢するのが母の趣味なのだ。


自己満でやっているだけだったらまだ許せるのだが、それを見ているほかの人たちに自慢して嫉妬させるのが本当の趣味。


それを見ている友だちは「いいなぁゴージャスね!あなたの家はいつもパーティーで。うちは息子夫婦が全く遊びに来てくれない」


そんなコメントをもらうために写真を撮っている。


そんな友だちも今はみんな彼女の周りから去った。理由も告げず、静かに消えていった。多分母の意地悪な性格が嫌になったに違いない。


でも誰も物音立てずに去っていく。説明してもきっと母の反論で負けてしまう。みんな母の頑固な性格を分かっている。


母は、ロマンチストだけではなくナルシストでもある。自分が大好きな母。自分のことが大好き過ぎて、周りから人が去ったら、それはその人たちのロスだと思っている。「自分はものすごく魅力的なのでトクすること多いの。みんなもそのトクにあやかれるのに。バカな判断。」そんなふうに母は常に上から目線である。


ナルシシズムは「私のこと見て」、「私のこと世話して」、「私の言うこと聞いて」。


私は子どもなのに母の世話をしてきた。子どもの頃から母は一緒に遊んでくれたことがないし読み聞かせなんてのもない。たまに、私が具合悪くて病院に行くと母が小児科の待合室に置いてある本を読むふりをした。それは周りの母親がやっているから。でも家ではほとんど私を相手にしない。


勉強はまた見たことが片手で数えるくらい。私がもともと勉強ができたこともあるが、母親が私に勉強を教えるようなことをすると、私が彼女の言う通りにしなければものすごく怒る。勉強が基本的に苦手な母なので母の教えてくれることが理解できないことが多かった。結果的に投げ出されて、一人で勉強することになる。


母は鬱のように部屋に閉じこもって寝ていたことが多かった。外に出たがらない母は、小学校低学年の私に買い物へ行かせたりもした。私は今でいうヤングケアラーだ。弟が幼稚園に行き始めると二人でデイキャンプに入れられて私が弟の世話をした。小学校で勉強ができない弟は夏の補習に行き始めると小学校3年生だった私が一緒に着いて行き送迎をした。


以前もこのブログに書いたが母は血相を変えて怒る。私を打つ棒があって、その棒でぶったり、仏壇のお線香の火でおどしたり。訳も分からなく怒られたことがしょっちゅうあって、子どもながらにひたすら謝っていた。


弟の子どもたちを見ていると小さい時の私と同じように叱られている。いや、これは完全に虐待だ。


子どもたちがむやみに打たれて、泣かされて、罵倒されている。


弟だけではなく母からもひどくやられている。


二人は同じことを子どもの母親にもしていた。結果、その母親は気が狂って自傷行為まで始めてしまい実家から逃げるように出て行った。


母の美しい顔の下には鬼がいるのだ。


老いと共に母の世話が増えていった。母は元気な50代なのに「私のお世話をして!」とうるさかった。


私が恋愛して結婚をほのめかすと、私が彼の家に嫁ぐことで彼女の世話ができなくなると思い、あらゆる恋愛に文句をつけて阻止してきた。


「私の世話は誰がするの?できなくなるじゃない!」と大騒ぎする。


そんな母がリウマチになったら私に泣きついてきて、私は仕事を辞めて実家に戻った。当日恋愛していた彼とも別れて私は親の介護を選んだ。


でも、私が仕事を辞めて実家の家業に入ると、実家は弟が継ぐのが当たり前だと言う考えがあって私の活躍がけむったくなった。


ある程度リウマチも治まると、「もういいわよ」と言う感じで家から追い出した。


そんなことがもう2回起きている。


でも本人はそんなことをとうに忘れていて、自分の中でストーリーを作って信じ込んでしまう。


「あなたは仕事がうまくいかなかったから介護とか言って逃げたのよ」


母が自分の作ったストーリーを事実のように話して本当の話に一切耳を傾けない。


私が今までシェアした友だちの子育ての話や習慣もいつのまにか自分の考えたことのようにすり替えて話す。


「我が家は赤飯を1日と15日に炊く」←これは友だちのお母さんが教えてくれた風習。そんな風習なかったくせに。


「私は子どもにダメという言葉を使ったことがないの」←これもまた息子の友だちのママが言った言葉。ダメとか良く言っていたし言わなくても子どもをぶっ叩いていたくせに。


私の母はホントに手強い相手なのだ。





クリスマスですね。


母のSNSを見たら姪っ子の写真が載っていました。「欲しいプレゼントは消しゴムとえんぴつと沢山色が塗れる色鉛筆!」姪っ子たちのクリスマスプレゼントを今までずっとサンタとして担当してきた私。


姪っ子の欲しいものくらいよく分かっています。


本当に欲しいものはそんなもんじゃない。


母や弟にそう言えってプレッシャーかけられていて、子どもが親に気を使っている。


姪っ子が可哀想です。


そんな可哀想な姪っ子の話。


弟の暴力はまだまだ続きます。

 

暴力が始まる理由の一つは姪っ子の勉強についてでした。

 

姪っ子は健常者なのですが、勉強が苦手で学習障害を持っているような状況でした。彼女の生みの母も診断はされていないものの学習障害があったようで、漢字はずば抜けてできるのにほかは全くダメだったそうです。大人になって責任が増えていくに連れて鬱になったこともありました。


勉強ができない姪っ子は無理な勉強をさせられていました。それは学校関係者でも分かっていたことで、姪っ子は学校で集中力にかけていて勉強もドンドン落ち込んでいきました。先生たちには時々家の様子を伝えて、「自分はやることがいっぱい」、「バイオリンの練習が大変」、「弟の世話が大変だ(うちの息子のことを母の言いつけで「弟」と呼んでいた)」と話していたそうです。


バイオリンなんてほとんど練習することなく、うちの息子の世話をすることもないのに、自分の勉強ができていないために2倍も3倍も勉強しないといけない、そのホントのことが言えないようでした。


勉強のことで学校から呼び出しが来ると、弟は私に頼って私も一緒に面談に行かせます。母の願いで一緒に着いていくのですが、弟にとって学校は苦手な場所なのです。自分自身も2回も落第しているし、英語もそんなに流暢ではないので、私に頼っていました。弟の弱みを知っていても私は弟を茶化すこともなく、姪っ子のために学校へ着いていきました。

 

面談では先生から姪っ子の態度や言葉から家でのカオスをウスウス知っている、そのような会話でした。


「彼女の勉強量を減らしてあげてください」


「まだ小さいので少し休ませてあげてください」


そんなことばかり先生に言われていました。


 その姪っ子が勉強ができない事案があって、いくら弟が教えてもダメなことがありました。弟はイライラが増して姪っ子に暴力を振り始めました。

 

これはもちろん初めてのことではありませんでした。何度もこういうことがあって、私が間に入って姪っ子をかばいました。

 

ある日、弟は勉強を説明してもできない姪っ子に怒り、寒い家の外に投げました。


本当に家の外に「投げたんです」。


姪っ子が鼻血を出して大泣きしていました。私は、弟に口で止めなさいと止めに入るのですが、止めなかったので体で弟を抑えました。

 

弟は私より大きいので、私が抑えてもものすごい力で振るい払いました。

 

「おまえはうるさいんだよ!俺のこどもだ。俺がどうするか決めるんだ。お前は口を出すな」

 

私は「暴力反対!暴力反対!」と声を荒げて怒鳴りましたが、弟は聞く耳も持たず、私に対する怒りを私にぶつけてきました。

 

弟はものすごい血相をかえて、私のことを引きずりまわして、なんども床に叩きつけました。その間、いろんな角にもあたったようで額から血が出ました。

 

母がいつものように止めに入るのですが、弟を咎めることもないまま事は終わりにします。

 

姪っ子にたいしては「あなたが勉強できないから問題になるんだ!」

 

私には「余計な口出ししないの!」

 

暴力を振るっている弟には何も言いません。

 

私は体にケガを負っていました。でも、弟は謝りもせずに自分を正当化します。


私は涙が出て止まりませんでした。息子ももう一人の知的障害の姪っ子も、みんな泣いていました。


弟と母を絶対許さない。


そう強く思いました。

 

 

私は事務職として勤めているので自分の日程がクリアでした。

 

仕事のために出かけることは基本的午前10時以降から午後16時までの間。火曜日だけ対面の案件があったので、朝7時に出て、16時まで帰宅しました。

 

zoom会議は19時以降。

 

週末は子どもの習いごと以外は家にいることが求められていました。

 

こんなに日程が縛られていたのですが、母と弟が気に食わない日程が2つありました。

 

1つは、金曜日の4時から6時までの息子の塾。

2つは、子どもたちをお迎えする時間に私が授業で間に合わないことでした。

 

後者については、こんなことが起きると想定していたので、ベビーシッターさんの手配、学童、ファミサポを考えていました。色々宛てがあったのに、母は私に全てキャンセルするように、と言いました。

 

「そんなところに行ったら不良になる」

「他者が家の中に入るのはイヤ」

 

そんなことを言って結果的に全て断ることに。

 

それなのに、いざ家で子どもたちを迎え入れる役割を任されると、イライラ。

 

前者の塾は、土曜日か金曜日の午後いずれかを選べるのですが、初めは土曜日を選んでいたのに、家族に変えてほしいと言われて金曜日にしました。

 

でも、金曜日に変更すると月1回ある父の外来があって、弟が一緒についていきました。すると、私と母で3人の子どものお迎えとお世話をしなければいけません。特に、知的障がいの姪っ子1号はお迎えが必要。午後3時頃ですと、病院にまだ行っている時間なので、私がお迎えに行かないといけません。

 

姪っ子を迎えに行って、家に下ろすと、そのまま塾へ。塾へ行ったら私は近くで2時間待機なのです。

 

弟は父の外来に付き合って、帰宅したら再び父と子どもに付き合っていることに腹を立てていました。

 

たった2時間だけ留守にしているのに、私が「自由」に動いていることを気に食わなかったのです。

 

「外来に行っているのに、なんで金曜日に塾を入れるんだ!なんで変えないんだよ!」

 

私はもう既に母の命令で2回も塾の日程を変えていた。3回目はないことを伝える。

 

「お母さん、〇〇(弟)に言って。なんで文句言われないといけないか分からない。」

 

私は断固として日程を変えませんでした。でも、行く度に、デパートに寄ってはみんなに夕食のお寿司やデザートなどを買って家に帰っていました。家族に必要なものがあれば買ってあげました。

 

時々私は息子を待っている2時間、姪っ子たちを連れて本や洋服を買ってあげました。姪っ子たちが読んでいる本は全て私が買ってあげています。パジャマ、洋服、靴下、靴もです。最近、母がスニーカーを買ってあげました。買ってあげた理由は、私が姪っ子たちのスニーカーを洗ってあげたら、穴や汚れがものすごくて履けるような靴ではなかったからです。それを母に伝えたら、ようやく購入しました。弟は一切お金を出しません。

 

それでも、彼らの言うことを聞かない私に二人はフツフツと腹を立てていました。私はそれを感じていて、常に怯えていました。自分の主張をするだけで意地悪されているし、心の中で嫌われている。相手の意向を全て受け入れないといけない状態になっていました。でも、どうしても気を使っている自分が情けなくて仕方がない。どうすればいいか、分かりませんでした。

 

引っ越した日はとても暑い日でした。

 

私は自分が担げるだけ、最低必要な品物を選び、スーツケースや箱に詰めました。

 

洋服と本。

ふとんとまくら。

2箱に入ったキッチン用具。

息子のおもちゃ。

 

それくらいだけでした。

 

母の指示で弟も一部の重たい荷物を持ってくれました。彼的には私が出ていくことは大賛成。自分だけで実家を独り占めにできますものね。

 

電化製品は間に合わなかったので、引っ越してから数か月は洗濯機や冷蔵庫がない暮らしでした。でも、その生活も成り立っていました。なぜなら、私たち親子は毎朝5時に起きて、5時半には実家へ行っていました。私は朝ごはんを作り、父の世話をして、子どもたちを学校に送り出し、それから父をデイサービスに送り出しました。父がデイサービスに行く頃、母はのんきに2階の寝室から降りてきました。

 

私は父が出た後、お昼の支度をしてから仕事。午後まで授業をこなして、3時~4時くらいに子どもたちが帰ってくる頃に実家で子どもたちを出迎えて父がデイから戻ってくる5時までに夕飯の支度。

 

父が帰宅したら、父の世話。父が寝るまでの7:30くらいまで実家で過ごし、それから自分の家に戻る生活が続きました。

 

母も弟もその間、2階に行ってはくつろいだりしていました。自分たちは父の介護を同じ家で看ていることを理由に、私が来ている間に私に子どもの世話や父の世話を全てをやらせます。

 

日曜日は最悪です。全く自分の仕事もできずに子どもと親の面倒、食事の世話もします。

 

唯一私が手を出さなかったのは家の掃除です。引っ越しをして、掃除はほとんどやらなくなりました。

 

母は昔から掃除魔でした。母が掃除機を持つと、彼女の恐ろしい性格が何かに取りつかれたように更に強調されてしまいます。私は子どもながらに母が掃除を始めると怯えました。特に、私は気持ちが散乱していたようで、お片付けが苦手でした。母は掃除機をする度は私を叱っていました。40年経っても、未だ叱っています。今度は、私だけではなく孫までです。

 

彼女は自分の掃除の仕方があるので、私は手を出すことはしませんでした。やっても怒られるし、やらなくても怒られる。彼女がやりたいように掃除させることが大切なのです。

 

話は脱線しましたが、引っ越しをして自分が逃げられる城はできたものの、まだまだ実家の生活から逃れることはなかったのです。私も自分のリズムを壊さないので、父のためにも朝5時半はきっちり守りました。でも、たまにゆっくり寝たい弟や自分のペースで家が動いていないことに腹を立ててる母にとっては私の日程は苛立ちの的でした。

 

意地悪にも、玄関がロックされていたり、父を深夜から放置したままテレビの前に座らせて私が来るのを待たせたり、もちろん朝はそのまま私に全てやらせて2階から降りてこないこともありました。

 

彼らは私の生活ペースだと勘違いして、自分たちが私を支配できていないことにフツフツと怒っていました。

 

 


 

弟の暴力と母の意地悪さに嫌気が指してきた。

 

やっぱり家を出よう。でも、父の介護もある。この近所からは離れられない。

 

立地と金額を考えて探すのですが、実家はとても古い住宅街にあって手頃なマンションやアパートがとても少なかったのです。ちょっと値段を張ると「家賃うん十万」が当たり前の高級化している住宅地。

 

仕方ないので1DKも検討しました。狭くても弟の暴力から息子を守らないといけない、と思い小さなところに引っ越す決意もありました。

 

実家から歩いて5分程度のところに1DKがあって内覧させていただいたのですが、大家さんが小学校の男の子がいることで騒音の心配がある、と言われて断られてしまいました。(鉄筋コンクリートのマンションですが)

 

それから2か月経ってあきらめていた時、実家から歩いて70メートルのところに不動産屋さんの看板が目に入りました!

 

看板はいつか男性の方が住んでいらした家がありました。黄色の壁に白い屋根。珍しくカラフルな家でした。家は約15年前に改装されて、その男性が住む1階部分とその大家さんスペースの1階背面と2階にアパートとして貸していました。

 

早速、仲介に入ってくれる不動産屋さんを探して、内覧させていただき、2DKのお部屋に納得しました。

 

後は、家族に伝えるだけ。

 

私は、家族がとても怖くてビクビクしていました。どのタイミングでどうやって言えば良いのか。でも、今言わないとチャンスがない。

 

私は、寝ている部屋の暑さ、そして姪っ子2号が大きくなって自分の部屋が必要だ、ということを理由に母を説得しました。

 

しかし、母は自分の身の回りの世話をしてくれる「下女」がいなくなることを許しません。

 

「ロフト部分にクーラーをつけるから、待っていなさい」と母は言いました。でも、既にクーラーの見積もりはとっていて、知り合いの方に工事はとてもややこしく、100万円くらいかかると言われていて、それから他の業者さんも探していませんでした。

 

「そんなお金かけたら勿体ないよ。私、自分で家賃払って生活するから引っ越しを許してください」とお願いしました。

 

でも、母は「そっち(家賃を払うこと)が勿体ない。家賃払うなら、私に払ってちょうだい。それに、〇〇(私の息子)が家で一人になることが増えたら不良になる!」と言って全く許す姿勢を崩しませんでした。

 

占い師さんが仰ったように、「ここを出て行かないと、どちらかが死ぬことになる」

 

この時は母に対して情はあったので、母の死を望む子どもはいない。母が生きて、私も生きたら、それはウィンウィンです。

 

私は、母の言葉を押し切って8月に引っ越すことにしました。

 

引っ越しを決めた母は私に毎日のように意地悪なことを言って、彼女の不満をぶつけました。

 

彼女の言う事は絶対であり、正しい。

母が言葉に出すことは全て現実になる。

母はそうやって脅かして私や周りを支配してきたのでした。

ご無沙汰しております!

 

最後にブログ記事を書いてから約14か月が経ちました。あれから壮絶なバトルが起きました。

 

今日は14か月前の夏の日に起きた出来事について書きたいと思います。

 

私たち親子が実家で住んでいる時、私が子どもの頃使っていた6帖の部屋に寝ていました。

 

その6帖の部屋には屋根裏ロフトがあって、子どもでも屈まないといけない天井が低いロフトでした。冬はロフトに布団を並べて親子で寝ていたのですが、夏になるととても蒸し暑くて寝られない状態になります。東南の角ということもあって、クーラーがついていなければ蒸し風呂状態の部屋でした。

 

涼を求めて、息子は同じ部屋を使っていた姪っ子2号(弟の二女)と一緒に下で寝て、私は扇風機を回して上のロフトで寝ていました。

 

ある夜、子どもたちが寝て、私も父の深夜のトイレ介助があるのでさっさと寝ていると、弟がドアを開けて入ってきました。寝ている息子を叩き起こして怒鳴り始めました。私は目が覚めてびっくりしました。

 

「おまえはなんで暴力するんだよ!!」

 

「仕返ししてやる!」

 

息子のことを床に叩きつけていました。息子は大声で泣いていました。

 

「なにやってるのよ!」私は息子を守るため無我夢中でロフトを降りて弟に飛び掛かりました。

 

弟と手づかみの喧嘩になりました。泣いていた息子に今度は姪っ子2号も泣き始めました。

 

弟曰く息子が姪っ子1号に傷をつけて血が出ていると、怒鳴り始めるのです。姪っ子1号は知的障がい児で生まれつき睡眠障害があるので弟と同じ部屋に寝ています。夜遅く動き始める姪っ子1号に弟も起きてみたら傷を見つけたそうです。

 

母も起きてきて部屋まで来て取っ組み合いをしている姉弟を口頭で止めようとしました。。

 

「こいつ、手出したから仕返ししてやるんだ。俺はおまえを許さない!」

 

すると、母は、その日に姪っ子1号が自分で傷を作ったことを話します。

 

私はすぐに「ほら!人のせいにばかりして!謝れ!」と弟に言い返しました。

 

もちろん弟は謝らないで、母の説得で部屋を出ていきました。

 

弟を叱ることもせずに、その場を穏便に済ませようとする母の姿に私は怒りを覚えました。

 

「なぜあなたは息子を叱らないの?寝ている5歳児に暴力を振るったのに!この家はどうかしている!」

 

「こんな家に居たくない!出ていく!」

 

母は、困った顔をして、「またそんなバカなこと言って。もう寝なさい」と言って、私にそっけない返答をしました。

 

私はその日、家を出る決心をしました。

 


 

 

私は結構臆病です。

 
特に母に対しては、小さい頃からビクビクさせられていました。
 
母は私を躾る時、もともとの用途で使えなくなった緑のプラスチック棒で私を叩きました。この棒は通称「グリーン棒」と呼ばれていて、母の言うことを聞かないとその棒を自分で持ってきて叩かれていました。
 
「あなたたち兄弟は今の孫たちと違って勉強も自主的にやったし、お行儀も良かったので怒ったことなんてなかったわ」
 
母の記憶からは完全に消されてしまっていて自分を美化するようなことを言うことがあります。。
 
母は私を良く叩きました。
 
そして全くと言っていいくらい一緒に遊んでくれませんでした。私たちが家にいると、母は食事と家事をさっさと終えると寝ていました。もう小学校低学年で、私は一人で小さな弟を世話するように外に連れていって公園や近所の中学校のフィールドで遊んでいました。
 
自尊心を失うような言葉も沢山言われていつも通信簿が良くても(クラスで一番であっても)ビクビクして青ざめていました。
 
母はお弁当を作ってくれるのですが、他のお友達のようにカラフルでいろんなおかずが入っているお弁当じゃなかったです。
 
母は私のお弁当に佃煮のりを混ぜたスクランブルエッグをご飯の上にのせたもののみを作りました。決してまずいものではないですが、ドロッとしたたまごと黒いつぶつぶの海苔は冷えたご飯の上とは相性が悪くて、見た目もグロテスクでした。
 
子供の頃はそのお弁当が鼻水みたいだと思って、そのお弁当を食べずに学校の売店で一番安いピーナッツバターサンドを買って食べていました。
 
でも、お弁当の中身は捨てることもできず、母にも見せることができず、家に持ち帰っては自分のタンスや押し入れの奥深くにしまっていました。
 
母はたまに掃除してはそれを見つけて、私にものすごく怒りました。もちろんグリーン棒で。母は子どもの気持ちが読めない親でした。
 
グリーン棒が怖くて、グリーン棒を隠したこともありました。その時は代わりに布団たたきや掃除機で打たれました。
 
母は全くそのことなどにも触れず、忘れているように振る舞います。
 
「私は子どもに対してダメと言ったことがないの」
 
そんなことを言い始めたのは孫が大きくなってからです。実は私のママ友が「子どもには『待って』と一度も言ったことがない」と言う話をしたら、それが脳裏に残ったようで、自分も同じようなエピソードがあると出してきたのです。
 
でも、それは母の妄想なのです。
 
他にも似たようなことが結構あります。(例えば、私の友人の家では毎月1日と15日にお赤飯を炊く話をしたら、いつの間にか母はそれが我が家の伝統だと妄想して自分も実行しました。周りにもやっていることを言っているようです。
 
こんなエピソードはまだまだあります。
 
母は本当に人に嫉妬したり妬んだりする根本的に意地悪な性格で、妄想が多くて、その延長線にナルシストです。
 
10年くらい前に「あなたの母親はうつ病みたいな状態」だと言われたことがあります。
 
私は多分そうだと思います。
 
昔からそうですが「眠い」と毎日言っては、日々のフローリングもモップ掃除以外は家事をほとんどせず、父の世話も料理も気が向いた時しかしません。用事が済むと、自分の部屋にこもって、捕まえた野良猫3匹とベッドの上で過ごします。
 
昔からお腹に脂肪がついていて、「これは赤ちゃんを産んだから」と言うのですが、私も自分が出産したことでそれが脂肪だと知りました。怠け者の母はどんどんお腹が膨らんでいます。姿勢も悪いのでそうなっていると思います。
 
母親は、うつ病状態と他の精神疾患があるような気がします。
 
そんな母親だからこそ、どんどん弟のひどい性格
の理由が分かりました!彼は母にそっくりなのです。