備忘録は、なかなか進まず
ひと月に1Pageの亀🐢更新を
お許しくださいね。
脱走兵だった三つ子の私は、
保育園に入る事になりました。
5月某日
どうしても保育園に行きたくないと駄々をこねたらしい。
祖母と留守番をしていたその日
「十勝沖地震」に見舞われたのでした。
余りに幼すぎて
地震の怖さは覚えていないのですが、
縁側で祖母がずっと抱きしめていてくれたと思う。
余震が続き
当時 四本脚のTVが壊れないよう
に伏せて置き
掘り炬燵の炭にアルマイトの洗面器を被せてたと思う。
断片的にしかその記憶は無いが、
幼すぎて恐怖心が残ってなかったのは幸いだろう。

小学2年の冬。
私はまたしても
「行きたくない病を発症し」
グズグズしてたが、
母が
「だったらスクールバスに乗ろう」
といつもなら選ばない登校法で
坂道を下った。
バスが停留所に留まり
乗ろうと脚を掛けた途端に
激しい衝撃と共に引き摺られて
私は転びバスのタイヤに脚が挟まった。
凍結した道で
缶詰を載せた大きなトラックが
滑ってスクールバスに衝突したのだ。
新しいバスで車高が低かった事。
少し大きめの長靴だった事。
それが幸いし
脚を怪我する事は無く
何かに護られた気がした。
目の前で娘が事故にあった母の方がショックだったと思う。
乗務員やお客様が協力して
タイヤから脚を外し
運転手さんが抱っこして
救急車へ乗り込んだ。
幸いな事に大きな怪我はなく。
寧ろ
私を助けてくれた運転手さんが鞭打ちで入院。
この様な
急死に一生スペシャルは
後年も私につきまとうのですが
いま
思うと
保育園の時も
バス事故の時も
何処か予知して行き渋って居たのかなあ
などと感じます。
