またまたディーンさん絡みのお話。
鍵アカで関西弁をよく使ってるディーンさん🍢
それで思い出したのが母。
10年前に90歳で虹の橋を🌈渡りましたが、とても尊敬出来る母でした。
今も憧れの人なんですけどね。
母は大阪船場生まれです。
多分わかる人あまり居ないと思うのですが船場→今で言う中央区の商家の三女として生まれました。
丁稚さんをかかえる『ええとこの子』だったようですね。
わかります?丁稚の意味。
おかかえの下働きする人です。
船場言葉で知られる独特の言葉があります。
船場では長女は『いとはん』次女は『なかんちゃん』三女は『こいさん』と呼ばれます。
よく母は「私はこいさんと呼ばれていた」と言ってました。
20歳くらいで戦争が激しくなり当時別荘だった家→マジでお金持ちだったへ疎開して終戦後騒動が収まるまで待って船場へ行ってみたら勝手に土地も他人名義になり戻れなくなったと。
戦争中、戦後の話は色々聞かされました。
長女は産後のひだちが悪く亡くなられたんですがなかんちゃんの次女が婿養子さんを迎えて跡を取り母は父とお見合いで結婚。
私と姉の2人姉妹が誕生したわけです。
結婚して奈良に住むわけですが奈良にもやはり奈良弁というものがあります。
でも子供の時よく母は船場言葉使ってました。
例えば『おいでやす』→いらっしゃいませ
『ごめんやす』→失礼しました
『しまつして』→倹約してね
『それはあきまへんで』→そんな事したらダメよ
色々あるんだけど今思い出せるのはこんなとこ
よく聞くゴリゴリの関西弁とは違ってとてもゆったりとした言い回しです。
奈良育ちの私は奈良弁と船場言葉の合体みたいで周りから「なんかのんびりした話し方やなぁ」と言われてましたが大阪に住んで40年以上、すっかりノリツッコミ出来るバリバリの大阪のおばちゃんイヤおばあさんになってます
なんか懐かしくて書いてしまいました
ちなみに『ちゃうねん』は『まちごうてまっせ』だったかと→知らんけど
昨日の献立
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