占い師をやっていたころ、

こんなことを聞かれたことがありました。

 

 

「今回、どうして生まれてきたのか、意味を知りたい。」

 

そんなに気になるかね、そんなこと。

 

スピ好きの人から

顰蹙(ひんしゅく)を買いそうなのだが…

 

私なりの持論がある。

 

 

「それは・・・死んだ後に、

分かればいいんじゃないでしょうか?」

 

 

生物学的に言うなれば

いつでも説明はするよ。

 

 

おとうさんとおかあさんが

ほにゃららして、

お誕生日おめでとうの日を迎えた、と。

 

 

どうしても

生まれてきた意味を知りたくば

自分で「意味づけ」をすればいんじゃないかな?

 

 

例えば、

目の前で困っていた人がいたとして

それを助けたとするよね?

 

 

その一瞬のために生まれてきた!

 

 

と解釈したっていいと思うんだ。

それじゃだめなのかな?

 

 

生まれてきた意味とか、

自分の才能を気にしすぎる人って、

 

 

人生で大役成し遂げることに

憧れを抱きすぎてるんじゃないかな?

 

 

歴史上の偉人にでもなりたいのかな?

 

 

生まれてきたことに意味があるとかないとか、

あまり気にしたことはない。

 

 

ただね、

 

 

「生まれてきてくれて、ありがとう!」

 

 

と思うことはよくある。

 

 

あ、これは自分の子供だけじゃないよ?

 

 

数少ない友達だったり、

自分を導いてくれた人だったり、

私を元気づけてくれた人だったり、

 

 

「あー、この人いなかったら、

自分の事嫌いなままでいたかもしれない!」

 

 

って感じたときに

「●●ちゃんのおとうさんおかあさん、

●●ちゃん生んでくれてありがとー!」

と心の中でついお礼を言ってしまう。

 

 

●●ちゃんの親なんて、

会ったこともないのにね(笑)

 

 

まぁ、まだ未熟なもんで

自分を故意に傷つける人に対しては

「ありがとう!」を言える器がないけどね(笑)

※だって、人間だもの(by相田みつを)

 

 

占いなんかで

「あなたは政治家になって

日本を変えるために生まれてきました!」

って言われたら、

それ、やるの?

 

 

確かに生きてるとね、

 

「なんで私がこんな目に!」

「つらい思いするために生まれてきたわけじゃない!」

「なぜこいつらのために私が犠牲に?チクショー!」

「そんな・・・社長、ご無体な!!!」

 

そんなことが連続する時期もある。

 

 

堕ちていけばいくほど

「なんで生まれてきたんだろう。」

なんてふと考える時期もある。

 

 

誰かにとっての「特別」ではない自分、

誰かにとっての「特別」になろうとしても

振ったり振られたり「特別」にもなれず。

 

 

頑張ってきたことが

必ずしも正当な評価を受けるかといえば

そうでもない。

 

 

周りを見れば

ゴマをすっただけで出世していく人もいる。

 

詐欺師みたいな人が豪遊している。

 

 

変な世界なんだな、ここは。

(変ではないが、説明すると長いので割愛。)

 

 

そんなもの死ぬまで考えたって

答えなんかでないでしょう。

 

 

「今回、どうして生まれてきたのか、意味を知りたい。」

 

 

そんなことを考えるなら・・・

 

 

なるべく悲惨な死に方をしないことを考えたい。

 

 

と思うのは私だけ?

 

 

痛い、寂しい、辛い、悲しいって言いながら死ぬことを

全力で避けられるゴールを目指して準備するけどね。

 

 

 

極論。

 

 

生まれてきたのは、死ぬため。

 

 

私はどこかの偉いお坊さんでもないし、

サイキックな人間でもない。

※残念ながら血筋のせいか

平成の人間では人を見たり、

パンツしかはいていない小さいおっさんを見たり、

本棚じゃないところから本が落ちてきたりはするが。

 

 

金持ちも貧乏もそこだけは平等で、

愛されようが愛されまいがそこだけは平等で。

 

 

いつくるかわからないその日まで

「毎日」ってのが続いていく。

 

 

もし、

自分の存在が特別なものでありたいと願って

生まれてきた意味を知りたいのなら

 

 

同じ人間が存在していない以上、

その時点で「自分は特別」って思えばいい。

 

 

お金を払ったって、

「あなた」って人間を経験できるひとはいないわけで。

 

 

生まれてきた意味なんて探している間に

死んじゃうよー?

 

 

って、ハナシ。

 

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