「才能」があるとか、ないとか。

 

 

他人が特別に見えた瞬間、

 

「あいつには○○の才能があるからな。」

 

と言う。

 

 

他人の才能が気になったのは

 

自分と他人を比較したからだ。

 

 

もし、

 

あなたから才能があるように

見えた人がいたとして、

 

その人は

 

「才能があったから」

 

何かに取り組んでいるんだろうか?

 

 

おそらく逆なのでは?

 

 

「自分には才能がない。

才能になるまでやればいっか。」

 

 

こんなスタートを切ってる人のほうが

多いんじゃないかな。

 

 

仮にも、

なんらかの才能があったとしよう。

 

 

最初から「才能」が

「才能」と呼ばれるレベルだったとは

考えにくい。

 

 

ちょっと私ごとの話になります。

 

 

私は「才能がある」と言われて

この業界に飛び込んだけれど、

 

 

「才能がある」という言葉が嬉しかった半面、

「才能がある」という実感はゼロだった。

 

 

しいていうなれば、

書くことは大好きだった。

(作文や読書感想文は嫌いだったけど。)

 

 

「才能」って言葉に浮かれて

勉強の一つもしなかったら、

「才能」って言ってもらえた「何か」も

今や「クズ」だったろうと思う。

 

 

「うへー、ヘタクソだなー。」

「あー、自分、センスないなー。」

「イメージ通りにならんなー。」

 

 

という気づき「精進の道」の入り口だったし、

「才能」は相変わらず感じられなかったものの、

「センス(感性)」は磨かれていった。

 

まさに、

そのへんのいびつな石ころを

丸くなるまでヤスリで磨いていくように、ね。

 

 

何が良くて、

何が良くないかは感じ取れたから

「センス(感性)」ならあったかもしれない。

 

 

その代わり、

ダメ出しを乗り越えて、

独りよがりの

「これはいい!」

という価値観もひっくり返され続けた。

 

 

しかし、ある時を境に、

「才能とかもう・・・どうでもいいわ。」

と思うようになった。

 

師匠の下で勉強も始まったし、

 

「もう…シロートでええわ!」

 

と吹っ切れてから

この道でやっていく覚悟ができた。

 

 

「才能」って言葉、

実は、邪魔臭かった。

 

 

邪魔臭いというか、怖かった。

 

 

「才能なんてないから

師匠たちみたいに書いて稼ぐなんて無理や!」

 

 

経験豊富な師匠たちと自分を比べて

必要以上に落ち込んだこともある。

(冷静に考えれば経験値の差ですからね。)

 

 

もし、ライターとして食えない場合、

「才能どころか…私は無価値なんじゃ?」

と自分の存在意義すら無くす気がした。

 

 

だから、「凡人(シロート)」として

素直に教えられることを

体得することに必死になった。

その先で

 

 

「なんとか私もライターの輪郭が・・・」

 

 

見えてきたところで、

これからコピーライターになろうという人の

添削もすることになった。

 

 

教えられていた側から、

教える側へ。

 

 

その時でさえ

自分の「才能」なんて信じ切れてはいなかった。

 

 

ただ、

「学んだこと」を振り返り、

「培ったこと」を信じて、

「育てること」に専念していた。

 

 

常に自分のことについては

疑ってかかっていて、

 

「これでいいのか?」

「もっとこうするべきなのでは?」

「A案がダメならB案でいくか?」

 

自分に「100%大丈夫」なんてサインを

出したことはない。

 

 

「もっと。もっといいものを!」

 

 

そんなこんなで

コピーライター4年目に突入している。

 

 

これって才能なのかな?

 

 

考えても考えても、

たかが4年じゃ見極める要素にもならない。

 

 

もし師匠みたいに20年続いたなら

「私、天才だからぁー♪」

 

くらい言おうかなと思っている。

(挫けそうなときに唱えてはいるが。)

 

 

「才能があったから

今の仕事をしています。」

 

 

そんな人がいたら会ってみたい。

 

 

「続けてきたから今があります。」

 

 

よく、

「私、才能がないから・・・」

という人がいるけれど、

 

 

とりあえず、

何か一つでも続けてみてから

言ったらどうだろう?

 

 

才能がないからできないって言うなら

才能かもって思えるところまで

まず頑張ってみたらいいじゃん?

 

 

才能がない人には

たっぷり「挑戦権」が用意されてるよ。

 

 

放棄するもしないも

あなたが決めることだけどね。

 

 

自分の才能が見つかったら挑戦する!

 

 

なんて言ってる人は

才能があったって、挑戦しないよ。

 

 

「お金があったらやります!」

って言ってるのと同じだもんね。

 

 

才能があろうがなかろうが、

培った経験は無駄になんてならない。

 

 

むしろ、

稼げる・儲かるに関しては

「経験」から作ったコンテンツのほうが

確実にお金に繋がる。

 

 

才能なんて、アテにならない。

才能っていう自覚症状もない。

 

 

誰かが自分を見て

「才能」って評価をするだけで

確証のない、頼りないものの気がしている。

 

 

才能があろうがなかろうが、

何かを仕事にしようとしたら

やることは一緒。

 

 

コツコツと勉強したり、

当たり前のことを毎日当たり前にやる。

 

才能があったからって

ショートカットって、ない。

 

 

才能が信用されるには

裏付けとなる行動や努力があってこそだからね。

 

 

これまでいろんな人を見てきて

「才能があるなー」と感じた人には共通点があります。

 

 

「才能」なんてものを気にしない「才能」。

 

「自分に才能があるかないかが気になる」

という不必要な思考を持ってない人のほうが

 

 

本領発揮しています。

 

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個性心理學・認定講師もしています。

20年以上にわたり相談業に携わってきました。

人事・育成・教育現場・親子関係など幅広く応用をお伝えします。

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