夏休みなので、

珍しくこんなことを書きます。

 

 

アンチ学校論

 

 

こんな風に思った時期もあったのは

うちの子供が独特すぎるため

先生から塩対応された経験による。

 

 

しかしながら、

実際には素晴らしい先生もたくさんいて

こればかりは

 

 

「相性なんだな。」

 

 

と思うようになった。

 

 

今の教育って

教壇に立つ先生が

一番違和感を持っていたり、

もどかしさを感じてるんじゃないだろうか?

 

 

長年携わっている先生にしてみたら、

 

 

変わってはいけないこと

変わっていくべきこと

 

 

両方を誰よりもわかってるのでは?

先生は教育学の「プロ」だもの。

 

 

ただ、

親代わりのプロではないし、

大人としてのプロでもない。

人間としてのプロでもない。

 

 

VS学校

 

 

という構図で最近の大人は考える人も多いけど、

敵対より、協力のほうが・・・

 

 

現場解決手段としては早い気がする。

 

 

子供にとっての良い環境・良い教育とは?

 

 

そんなことを考える機会も話し合う機会も

私自身、いろんな絡みで増えてきた。

が、

一概に「定義」にできるような考えなどない。

 

 

親とて、未熟だから。人間として。

 

 

私が感じていたかつての子供社会と

うちの子供が感じているリアル子供社会は

私たち大人からは理解できるわけがないと思っている。

 

 

大人の私がすべての子供たちに

一律の良い教育など語れないと思っている。

 

 

それより、

子供の話にいつでも興味を持てる自分でありたいし、

テストの点なんか気にするんじゃねー!と

背中をたたく唯一の人間でいたいと思っている。

 

 

学校では5科目を教えてくれればいいし、

今、それ以上を求めることがいいこととも思えない。

 

 

学校は親ができない課外授業までも

受け持つ場所ではない。

最低限の知識を手に入れる場所でいい。

子供社会っていう独特な空間を味わう場所でいい。

 

 

親も先生も介入できない関係性があって

自分がどうやったら対応できるかを

傷つきながら自力ではぐくむ場所だと思ってる。

 

 

親は、子供にとっての「保険」として

何かあったら交渉役として出ていく仕事と

子供の学校行事(お祭り)を盛り上げて

一緒に思い出づくりをすればいい。

 

 

学校がやることなすこと、

やんややんやと騒ぐ親も多い。

 

そのわりに、

家で何もしないとかね。

 

 

学校に物申すことがあるなら

学校にお願いするよりも

親がやったほうが早いことだらけ。

 

 

その中の仕組みを変える活動もよいけど、

仕組みを上手に活用できない人に限って

「変える」ことに必死になる。

 

 

自分は変わらない、

社会が悪い、社会が変われ!

 

 

こんなの、時間がかかりすぎる。

 

 

社会悪を引っ張り出す風潮に

自分の意思を乗っけて話すとか、

本当にタチが悪い。

 

 

子供の教育論を大人が集まって話すのは

場面によっては必要だ。

 

 

だけど、

その出てくる時間のどこかを調整して

自分ちの子供の話を聞けっての。

 

 

それが基本的な教育で、

そのあとに学校ってのがあるっての。

 

 

読者登録してね