「趣味はテレビを見ることです!」

 

 

私が真っ先に距離を置きたいと思う人

ベスト3に入る言葉。

 

見てる番組がワイドショーなら

自ら進んで「洗脳」されに行ってるんだなと

本当に怖くなってしまう。

 

 

もちろん、これは批判ではなく

私自身が洗脳された一人だから

テレビ離れをして気がついたこと。

 

 

あ、あと新聞もとっていない。

 

 

テレビ・新聞で信じていいのは

 

株価

天気予報

番組欄

 

だけだから。

 

 

と言いながら過去にテレビの取材も

新聞の取材も受けているのですが。

 

 

この場合信じないほうがいいよね、

というのは

 

 

・世論をあおる報道

・視聴者の心に怒りの火をともす報道

 

 

です。

 

 

こういった報道は

警戒心なくテレビを見ている人の頭に

静かに入ってきて、深い根をはっていきます。

毎日同じ事件報道が続き、

見ていることでジワジワと。

 

 

自分の判断力は失われ、

まるでテレビの中のコメンテーターの一人のように

批判をしだしたら・・・

 

 

思うつぼ。

 

 

テレビを見ながら

感じている感情は

果たして本当に自分の中から

湧き上がっているものかどうか?

 

 

「この感情、ほんとに自分の感情?」

 

 

それすらわからなくなる。

わからなくなった後に、

 

 

「これは許せない!」

「こんな人、死んだほうがいい!」

「○○人はみんな✖✖だ。」

 

 

テレビの中の「そーだそーだ!」の

一人に見事になっている。

その姿は「プロ市民」以上だ。

 

 

私はテレビを見ていた間、

こんな感情にかられたことが何度もある。

自分とは全く関係のない人間に

これ以上ないくらいの「憎悪」を向けました。

 

 

ボランティアでプロ市民になる視聴者は

思惑を持っている側の人間たちにとっては

なんて好都合な「人材」だろう。

 

 

モルモットを手なずけるより簡単。

 

 

「テレビがない生活なんて、無理!」

 

 

というなら

 

 

テレビは庶民の娯楽

 

 

だという観点で「番組」を楽しめばいい。

 

 

①私がテレビ離れした理由はきちんとあって、

ある事件の報道が「まったくのウソ」だったからだ。

 

②自分のネタが取り上げられた際に、

事実よりずっと面白おかしくなっており、

シナリオ自体の7割がウソの内容になっていた

※これは取材を受けたものとは別で、

人気某局の人気番組に再現ストーリーとして

ネタを投書した際の話。

取材を受けたが、事実とかけ離れていた。

 

 

まぁ、自分が制作サイドなら

 

・視聴率が取れること

・視聴者から高い反応が得られること

・面白いものならなんでもいい

・スポンサーから金出てるし、スポンサーにとって

見てもらえる番組作りが一番大事

 

と思うので、

スポンサーでもなんでもない視聴者に

重きを置くことはまずありえない。

 

 

現実として、

テレビの裏には

「巨額のお金が動いている。」

わけで、誰に都合のいい作りになっているか・・・

 

 

冷静に考えれば、わかるよね?

 

 

だから、

「視聴者側がテレビは娯楽だ」

と割り切って「楽しむ」ぶんには問題ない。

 

 

テレビが事実だ

 

 

とは違う。

 

 

「おいしいお店」として取材されていた店が

実は待遇が悪かった、なんてこともある。

※実際にあった。

 

 

テレビが好き、ワイドショーが特に好き

 

 

は自分に向き合う時間は無くなる一方で

ゴシップが大好物なんて人は

同じ穴のムジナなので決して幸せにはならないだろう。

 

 

せいぜい、

他人の不幸を目にして

「私は幸せね。」

っていうくらいでしか幸せを感じられないからね。

 

 

テレビも新聞もやめろなんて言わないけれど、

少なからず私はゴシップネタにつきあう暇もなく、

そんな自分を失った状態の人と話をしても

まったく生産性がないのでお付き合いはしない。

 

 

たまに見る新聞の

番組欄の頭文字メッセージだけは

ちょっと気持ちがほっこりするけどね^^

 

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