普通の方は夢の中のお時間。
私は絶好調のお時間。
セールスコピーライター・なべまきです。


おとといは
「タケノコを掘りまくる夢」
を見ていました。
すがすがしい竹林でね。


昨日は目が覚めた時に
泣いていました。


見ていた夢で自分が放った言葉で。


どんな夢だったかというと
年上の方に説教をしてました(笑)
自殺志願者の人が相手。


で、その人に対して
おそらく、本音を言ったのだと思います。


自分でも意外だった本音。


生まれて、与えられるばっかで、
与えられた分を返せなくなるって
どんなに悔しいかわかるか!


ってその人の胸ぐら掴んで
怒鳴っていた夢。
※普段こんなことはしませんよーw


自分が望んでいたものとは違うとはいえ、
勉強する環境、遊べるもの、
興味もなかった将棋、グローブにバットw、
旅行にもいっぱい連れて行ってもらって、


与えられるだけ、与えられてたなと。
自分が望んでいたものとは違うし、
欲しかったものじゃないものもたくさんあったけど、
与えられていたなーという気持ち。


大人になってから、
「欲しいものは自分で手に入れるわ!」
「自分が望むものは自分で手に入れるわ!」
と意固地になってた部分もありつつ、
 
 
大人としては
借りた借りは返そうとは思っていました。


世間では「親孝行」とか言うんでしょうけど、
私の場合は与えられた分は
与えて返す順番が来た時に
果たしてイーブンで死んでもらい、
自分もそのように死ぬのがいいと感じてる。


それができないっていうのは、悔しい。


与えて返すどころか・・・って話でしたからね(;^_^A
 
 
与えられたものを受け取る。
これも大事なこと。
受け取れる人でないと、与えられない。
 
 
与えられる人は
これから与えることを学ぶだろうし、
与えてきた人は
受け取ることも学ぶだろうけど、


どっちかが絶たれると
悔しさが残るんですよね。


これは愛着とかそういったものとは違う感覚です。



与えることで喜びを得るのが
もっとも幸せな行為。
与えられる喜びは、
与えられないときに喪失感を生むけど、
与えることの喜びって無限に尽きない。
 
 
誰にも侵害されない喜びなので。


人間なんて、
本当は感謝をしない生き物。
※感謝を忘れる生き物です。


だからこそ、
感謝されるためにではなく行える
与える行為(喜び)が一番尊い。


うちの親がどんな気持ちだったかは
子供の私でも知らない。
けど、
与えられてきたおかげで今があるのは確かで
「悔しい」って思いがベースにあるから
与えていく側でありたいと余計に強く思うようになったかもしれない。

こんな感覚を2回も味わうと、
さすがにね、
3回目は味わいたくない^^;


与えることで命を失うなんてこともないからね。
お金までは無理ですが・・・w、
ケチケチして生きても、もってけるもんなんてないからねー。



夢の中は自分をだませない。
夢の中の自分を分析すると・・・
ここには・・・・・・・・



書けないことがいっぱい(笑)
※いろんな意味でw



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