極論。
自分で生きた方が、ラクなんだ。
どうせ、良いことやっても嫌われる(笑)


ちょっと面白いたとえを出そう。


見た目が
不細工でも、イケメンでも、
モテる時期ってのはある。

消極的な性格でも、
積極的な性格でも、
生きてく上でそんなに大した支障はない。


持って生まれた顔と体。
どうやってもこれは紛れもない自分。

自分100%である。
自分100%の・・・


イケメンがモテても
「ケっ」って言われます。

不細工がモテたら
「不細工のくせに」と言われます(笑)。



積極的な性格過ぎて、
「告白しないよりした方がいい!」
という姿勢からフラれる回数も
上手くいく回数も人より多い人もいる。

(当然チャレンジ回数が多いのでヒット率も高いわけ。)


それが
「一般的に」見たら
嫉妬や妬みに相当する出来事だったりする。


見えていない影の部分は
普段外からは見えないから、
見えてる部分だけで判断され、
勝手に妬み、嫉妬してる人が多い。


その嫉妬や妬みは
100人いたら基準がそれぞれ違う。



いちいちそれを気にして生きる「無難」なんて
実は無難でもなんでもない。


無難に生きているのに
どうしてか、
悩みが多い人が実際に多いのは・・・


結局、人のなすところ、
何をやっても「言われるんだ」ということ。



それが良いことであっても。


社会貢献できることであっても。


100人が賛同することなど、ない。


自分の思うままに生きて、
寄ってくる人を大事にすればいいし、
そうでない人をわざわざ大事にできる
キャパがあるだろう人間など


そうはいません(笑)


ゆえにいい人でいることに
生きやすさなんてついてこない。


否定したい人にはさせておけば良し。
批判したい人には言わせておけば良し。



最悪の嫉妬・妬みによる被害の時は・・・


「法」を使えばよし(笑)


自分らしく・・・ってのも、
一回周りの目を気にせず、
周りを怒らすことを覚悟して
動いた人しか手に入らないけどね。


頭では理解できても
心にしみていかないのは、
「行動」が伴わないからだ。


周りを怒らしちゃいけない?


怒るか怒らないかは
周りの人の基準であなたの基準ではない。


やってみなくちゃ、
わからない!


一人くらい「よくやったね!」って言ってくれるぜ?
その時にほんとの友達が誰か、気が付けるかもね^^




ペタしてね読者登録してねアメンバー募集中