タダより高いものはない。
とも言いますれば、
タダより価値のないものもない。
とも言うことができましょう。


「価値」とはまず何か?
という基本的な部分に
戻りますれば、


<価値>
どれくらい大切か
どれほどに役立つのか

ということを
位置づけするもの

値(値打ち)を示すもの

欲求を充足させるものであることの責任に
金額という物差しで表すこと



ということだと感じています。
(※一般的な解釈は国語辞典でごらんください)


さて、


タダより高いものもないですが、
タダより価値のないものもない。


0にして身につくものもなければ
0の価値はずっと0の価値のまま。


例えば、


0円で学ぶものは
ほとんど身につくことはありません。


自分に負荷をかけずに
筋肉をつけようとするようなものです。


0円で世に出そう物のほとんどは
なんの道具も使わず、介助もせず
筋肉をつけさせますよというようなものです。


まだまだ


「タダで教えてくれるの!?」
「えー、すっごい良心的!」



なんて考え方が多いのかもしれませんし、


「タダでやったらいい人だと思われるし。」
「みんなに喜んでもらえるだけでいいから。」


なんて考えている人も多いのかもしれません。


ですが、
ここをお忘れでは?


お金は道具ですので
人の間に介在しようがしまいが
正直重要視していません。





命の切り売りだということを
忘れていませんか?





タダで教えたときに
まるで活かしてもらえなかった場合


「あの時間は何だったんだろう」


と感じることがあります。


タダで教わったときの自分は
必死さに欠けており、
分かったつもりでいただけで
腑に落とす作業などしていませんでした。


これは私自身の経験でもあり、
過去の反省点でもあります。



ある友人に
「まきさんは谷町さんですね。」
と言われたことがあります。


自分に関わってくれている人については
惜しみなく知識も情報もお伝えすることがあります。

ある意味、
お仕事でお金をいただいた以上のことを
お伝えすることもありますが



お互いの時間を
生産性のある時間にできる人限定
です。



そこには
自分の生きてる時間を投資したいと思えた場合、
投資した人の人生が豊かになり、
その人が周りに与えることが
さらに多くの人の人生を豊かにするだろうと



それが見えた人だけに
「谷町さん」になります。
※谷町さんについてはググってくださいw



0と0ではない数字が介在しつつ
そこはケースバイケース、
スキル交換という形で
成立する価値の交換もあります。


奪わず、生み出す。


目指すところがそこだとしたら
すくなくとも


全くの0(ゼロ)という状態は起こりえません。



命をつぎ込んだ時間は
お金を積んでも取り戻せないもの。


0にしていい時は
「谷町さんであることすら誇りに思えるとき」


そのときだけです^^


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