朝のニュースは
国民的アイドルの解散から一転、

存続の話題で持ちきりだった。

 


公共の電波を眺めながら

「人は経済の上に個人的な幸せを
追求する意思を持ってはいけない」

という厳しい現実があると
改めて感じてしまった。

 

 

私もSMAPは
同世代としてとても応援している。

 

これだけ多くの国民に
夢を与えてきた。
彼らが自分たちの人生の中で
自分の夢に生きることを
考えたのがこの騒動だったのかな、って。

 

 

夢は与えるもの

 

なのか、

 

夢は見るもの

 

なのか、

はたまた

 

夢は叶えるものなのか?

 

夢を与えてきたけれど
自由な選択は…ないの?

 

 

と会見を見ていて思った
私のような人間もいれば

 

解散しなくてよかった!
SMAPをこれからも見ることができる!

 

と喜ぶ人も大勢いる。

 

 

アイドルとは商品

 

 

人間としてより、
商品としての立場を
守らなければいけないということは
ファンから見えないところで
生み出す多くの損失が
ついてまわっているってことでもある。

 

会社員と違わない一面を見たようだった。

 

「いいか、会社に背いたら
未来はないんだぞ。」

 

「所属している以上、
商品だからこそ大事にしている。」

 

「いち個人としてなら、
保障などしない。」

 

会社ってシステムはこうである。

 

自分が経営者だとしても
同じことをするかもしれない。

 

 

共に利益を生み出す人に
保障はしてあげたいものだもの。

 

けれど芸能界の場合は
ファンから見えていない世界があって
事務所を出ることは
普通に会社を辞めるより
容易ではないはず。

 

だから会見を見ていて
とても歯がゆさを覚えた。

 

夢を与えられたまんまの視聴者

 

解散しなくてよかった!
という声が圧倒的に多い中で

 

アイドルって
ファンの何かを投影されてしまう存在
なのだあと感じた。

 

 

彼らを見ていると
がんばれそうな気がしてくる!
っていう気持ちもわかる。

 

誰しもがんばってる姿は
アイドルだろうがなんだろうが
応援したくなるのが
人間世界だからね。

 

 

今回の報道を一件を見て、
私や、私ではない一般ピーポーは
とてつもなくラッキーな世界で
暮せているということに気が付いた。

 

 

会社を辞めても、
せいぜい嫁や旦那、
父親、母親、義父、義母に
嫌味の一つを言われるくらいだ。

 

経済の上で
個人的な幸せを追求すると
後ろ指をさされるのがこの国なんだが、
経済的に満たされた人たちでさえ
個人的な幸せを求めていく。

 

 

経済的な豊かさと不自由が
比例していくなんて
なんたる皮肉な結果だろうか?

 

なんてケースもいくつか見てきた。

 

 

一方で
経済的な豊かさと自由が
比例している人も実在しているのである。

 

 

私やこれを読んでるあなたは
後者になることができる。

 

夢を与えてくれて来たアイドルが
今までの事務所に収まる
苦悩した顔を眺めながら

 

後者だとしたら
見せてもらった分の夢を
自分の夢を実現するエネルギーにして
いくことができるはずなんだ。

 

 

元さやに収まったことを
喜ぶのは結構な話。

 

 

カッコいい人間を見ながら
同じように
カッコいい人間を目指したいって
思ってくれる人を増やすのが

 

 

動いてるアイドルっていう「職人」の
求めるところなんじゃないかな?
自分たちの経済効果うんぬんではなく、
いち人間としてのさ。

 

 

って勝手な想像だけど
そう思えた一件でした。

 

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