未来は必ず来ると大多数の方が信じています。
明日が来ると大多数の方が信じてます。
だけど「不安です」とおっしゃる方が多いです。
目の前にお皿をひとつ用意してください。
このお皿が「あなたの未来」です。
何も無いこと、何も無いかもしれないと不安を感じてるんです。
「わからない」ということに大きな不安と恐怖がつきまといます。
未来は、見えません。何があるかもわかりません。
ただこのお皿のありがたいところは、
何を入れてもいいよ!
というところなんです。
ちっさい蜜柑。
おっきい蜜柑。
あなたには選択して入れることができる自由が与えられています。
もし
「やっぱ違う味が食べたい!」
と願うなら、
未来は設定し直すことだって可能です。
「願った瞬間に叶わない」という三次元のいいところでもあります。
未来に対する不安や恐怖を無くすために、
「今、ここで、何を入れるか」を決めることが大切なんです。
ただ、あまり漠然としていると、
確かに望んだものではありますが、形が変わってしまうこともあります。
(こういうパターンはよくあるのだけど、がっかりしなくていいのだって一部ちゃんと叶っている証拠だから。)
何を望むかを決めると、「不安と恐怖」はお皿の中に入る隙がなくなります。
未来に
これを入れるんだ!
と決めた途端、実現タイマーのスイッチが入ります。
・種から育てるのか
・苗から育てるのか
・挿し木するのか
・肥料やるのか(配合はどうするのか)
・いつくらいまでに収穫したいのか
・育て上げるために自分の力で足りるのか、誰かと協力し合うのか
などを自然と考えるようになります。そしてそれは自然と行動に移されます。
人間は欲求を満たすために工夫を始めるようにできています。
何も決めていないことが「不安と恐怖」を生んでいるんです。
「何をしていいかわからない」というふわふわしたような感覚になります。
今感じている「もしも・・・ということになったらイヤ。」という結果は
こういうものを望んだ時に、
こういう形で用意されていたら「失敗!」とか「人生の汚点」と感じるからではないですか?
幼少期から私たちの多くが学んできたことは
・失敗はいけないこと
・結果がでないかもしれない危ういものには手を出さないことが懸命
ということだったかもしれません。
でも先程もあげましたが、
将来がこういう形で実現しても、半分は叶っています。
「あ、ゴールまで半分だな」って解釈すれば、これは失敗ではないと想いませんか?
残りの50%が何かわかってれば、再設定をすればいいんです。
でももし
願望をハッキリ望んだのに実現しなかった!というだいたいのパターンは、
こんな感じです。
身も皮もあるけど、小さかったな。
程度。
これは失敗じゃないでしょ?
これを達成の一部だと認めながら、「俺、頑張ったな!」ってことを積み重ねていくと、
こんなのをいつか作れるようになります。
あなたは未来に何をいれますか?