新潟では先ほど大雨・洪水警報が発令されました。
2年前には隣町内にボートが出ておりました。(;^_^A
はてさて、6月締めくくり、梅雨っぽい話で締めくくりましょうか。
ワタシには一人、お墓参りしたい人がいます。
そのお墓もどこにあるのか分かりません。
それはワタシの恩師であり、結婚するならこんな人NO.1の人でした。
高校進学は本当はしたくなかった囚人。
吉本の養成所に行きたかったんです。夢があったんです。
だけど、三者面談、案の定先生と母親はその話に唖然・・・。
説得されまくって「高校だけは出なさい。」と。
その後近くの高校に行ったものの、友達は沢山いるにせよ楽しくはなかった。
学校にいても家庭にいても、居場所がなかった。
1年生の夏、本気で退学を考えた。
それこそ奈良の16歳の放火事件のごとく、家に火をつけて自分ごと全て終わりにするのもいいかなと思った時期もある。
それでも1年は頑張ってみようと友達に説得された。
2年目、進路指導室に呼び出される。
・・・・・・なんか悪いことしたっけか?( ̄_ ̄ i)
と行ってみると理科担当の先生、K先生が待っていた。
『お前、トロンボーン吹けるんだってな。』
「???もう初心者同等ですよ。もう吹く気はないでうすよ。」
『よし、じゃぁ、音楽室に行け。』
「はぁ?!話聞いてました?吹きませんよ。」
『そうか、分かった。おいT(部長)、音楽室連れてけ。』
無視かよ!!!( ̄□ ̄;)
会話なりたってねーべ!?
そのまま吹奏楽部へ強制入部。
当時はまだそんなに仲良くなかった友達Mちゃんが話したらしい・・・。
毎日逃げようともMちゃんがワタシを連れて行く。
Mちゃんは市の吹奏楽団に所属していて実力も素晴らしい。
頭もすこぶる良く、人を疑わないワタシと対照的な人。
そんなこんなでさらにイヤイヤ生活してたものの、夏の大会では今までにない快挙。
その時に初めて学校にいたことを楽しいと感じた。
その秋にはなぜか部長になっていた。
理由:顧問の先生が好きだった。
(///∇//)シタゴコロ。
3年になり、部の規模が一気に倍になり、実力も県内トップを争うようになった。
新しく入った1年生の男子が可愛くって、学校辞めなくて良かったぁと実感。
(その1年生とは長い付き合いになる)
ワタシの実力も県内では5本の指に入るだろうと言われ、音大の進学を進められた。
が、のちに進学をやめ専門学校へ。
この先生に出会ってから、学校生活があっという間だった。
卒業してからもたまに指導に学校を訪れて、仲良くしてもらってた。
最後に先生に会ったのはアンサンブルコンテストの2週間前だった。
高校に指導に行った日だった。
廊下でいつものようにおどけて見せて、アレが最後。
今でもあの一瞬の姿が目に焼きついてる。
2週間後、先生が行方不明だと連絡がきた。
嫌な予感はしてた。
ワタシには最初からなんとなく長生きできない人だと感じてたけど。
お葬式では首元が手ぬぐいみたいな白い布で隠されてた。
つまり、そういうこと。
アホらしくって、あっけなさすぎて涙のひとつすら出なかった。
あれから10年。
あの時、人生を放棄してたら今のシアワセはない。
今思うと、先生の手は
神様の救いの手
だったのかもしれない。
神様もくそもないと思ってたワタシに差し出された救いの手。
彼はその手自らで神様のところに帰っちゃったけどね。
その後7年かかって彼は成仏されましたが。
あれからワタシは変わったのかもしれない。
人生に対しての姿勢や考え方。
彼は言葉には言い表せないほどの素晴らしい美しい世界にいる。
ワタシもそこへ行けたらと思ってる。
ココニイルコト
その答えは今を精一杯生きてみないときっとわからない。
だから、あの日から決めた。
ワタシの言葉で友達や家族や愛する人、いろんな人と最後にそこへ辿り着くことが出来たらって。
救われたこの心と体を、大切にみんなのために使いたいって。
あぁ、長くなってしまいましたね。
ジメジメしたお話になってスイマセンでした。
結構ブラックな人格を合わせ持つんですよ、実は。
いろいろあったからこそ今、シアワセの囚人。
ちょっと自分を省みてみました。
また機会があったら掘り下げてみようと思います。