さて、私もピカピカの1年生になりました。

エホバの証人2世がまず小学生になってやる事と言えば…

「先生への証言」です。

エホバの証人は唯一神信仰なので、校歌や国歌はエホバ以外を讃える物と判断しています。

その為にエホバの証人2世の子供達は先生に校歌、国歌の斉唱を行わない。格闘技の授業には参加しない。クリスマス等の行事に参加しない。と言う話をしなければなりません。

連絡帳はおそらくあったかと思いますが、入学式初日に証言をしなければいけないので、母親に代理をしてもらう事も出来ません。

何より母が「自分の信仰なんだから、人に頼らず自分の言葉で言わなきゃ先生に伝わらない。お母さんの宗教じゃなくて、あなたの宗教なんだって思ってもらわないといけない」と言っていて、代理する気全くなし。そしてとどめに「あなたが自分の言葉で証言してくれたら、お母さんとっても嬉しいな」

こんな事言われたら6、7歳の子供なんてホイホイ言うこと聞きますよ。

お母さんが喜んでくれるなら頑張る!!ってなるじゃないですか。

私もホイホイ乗せられたんですけどね。


ただ、ここから私の違和感人生が幕を開ける事になりました。

「お母さんの宗教だよね?私はついて行ってるだけだよ?私はエホバの証人じゃないよ?姉妹じゃないもん、私」と思うようになりました。

でも何故かその言葉は声となって出る事はありませんでした。言えば母親が悲しむか怒るかのどちらかにしかならないと本能で察していたからです。


そのまま私は入学式が終わってすぐ先生に証言をしました。

50代半ば位の男の先生でしたが、反応はあまり良くなかったのを覚えています。「あぁ、宗教ね…」と若干迷惑そうな表情をしていた記憶があります。

後にわかる事ですが、この先生は昭和の鉄拳制裁教師で生徒の頭は平気で叩くし、何故か耳を掴んで前後に激しく振る事もあり、かなり激昂しやすい先生でした。


先生への証言を終え、母にも褒められてしばらくは平穏な時間を過ごしていましたが、初めての席替えを機に状況は悪化していきました。


私のクラスには自閉症の男の子がいて、授業中に立ち歩いたり、わけのわからない言葉を発して先生が手を焼いていました。おそらくADHDもあったと思いますが、当時は支援学級がなかったので普通のクラスにポンと入れちゃってたんですよね。

私は申し訳ないけど、その子が大嫌いでした。

母親から病気の事は多少教えてもらっていて、誰にでも親切を示すようにって言われてたけど、アレは本当に無理‼︎って気持ちでした。

障がい者差別と思われるかもしれませんが、本当に人間の世界に迷い込んで来た猿としか当時は思えなかったです。


さて、みんながクラスに馴染んて来たある日、席替えがありました。くじ引きで席を決めるはずなのですが、先生は「このクラスにお世話係を作ります」と言い、先程の男の子の名前を1番左の1番前の席に書きました。そしてその隣に私の名前を書いたのです。

「○○君のお世話係はラズベリーさんにしてもらいます。ラズベリーさんは〜(要はエホバの証人で言われた事は守る人なので的な言い方/うろ覚え)なのでラズベリーさんに任せるのが1番です」みたいな事を担任が言いやがりました。

もう頭真っ白で、何も言い返す言葉も出ず、みんながくじ引きを楽しむ中、教室の左端の席に移動し、黙って席替えの時間が終わるのを待つしかありませんでした。

この事がきっかけでクラスメイトにエホバの証人の信者という事がバレ、休み時間に質問しに来る子が何人かいました。ただまだ1年生なのでほとんどの子がよく理解出来なかったはある意味救いだったかも知れません。


長くなるので一旦切ります。

ここまで読んで下さりありがとうございました。


さて、タイトルにある「幼少期」

実は私は保育園・幼稚園に行ってないんです。

なので「幼少期」と書かせて頂きました。

お察しの方も多いと思いますが、保育園・幼稚園は様々な行事があり、それが聖書の教えに反しているものと母が判断した為です。節分とか誕生日とかクリスマスとかでしょうね、多分。

その代わり私も妹も「子供くらぶ」と言う短時間小規模の組織(?)に週3、4回通っていました。


子供クラブはお勉強メインで、誕生日の子がいたら「お誕生日おめでとうー」の言葉だけで、言い終わったら勉強開始みたいな記憶があります。

ひらがなの練習や簡単な計算、折り紙等の工作とかをやっていました。

当時は楽しかったのですが、小学校に入ってから保育園・幼稚園の存在を知り「どっちにも行ってない。子供クラブに行ってた」と言うと周りの子がポカンとしてた記憶があります。


さて、集会に行っていた記憶もこの頃からですが、私の会衆(決められた区域に住む信者達が決められた場所に集まって聖書の勉強会するグループの様なもの)では当時3種類の集会がありました。


・奉仕の群れの集会

毎週火曜日夕方に行われる。上記のグループを更に小分けしたグループにし、その中の兄弟姉妹が提供してくれる家に集まる。約1時間の集まりで、組織から出ている雑誌や色々な本を使い、質疑応答の形で進めていく。大体15〜20人位の集まり。


・神権宣教学校&何か(忘れた)

毎週木曜日夕方に行われる。王国会館(教会みたいなもの)にその会衆の信者全員で集まって聖書の勉強会をする。

質疑応答もあるが、基本的に信者向けの内容が多く、他の人に聖書をどう紐解いて教えるか、戸別伝道でお家の人に興味を持ってもらえる話の持って行き方等を信者同士の実演を交えて学ぶ。

約2時間の集会。人数は区域によって変動する。


・公開講演&ものみの塔の研究

毎週日曜日午前中に行われる。

前半は長老(会衆の偉い人的な位置)か奉仕の僕(男性信者の中で1部の人に与えられる称号。詳しくは覚えてない)による50分位の講演会。はっきり言って地獄。

一般人向けに世界や日本の様々なニュースや災害、人々が抱える悩み等を取り上げて、エホバは何と言っているか聖書を開きながら学んで行く。

最終的にはエホバを信じ聖書を学んで頑張りましょう的なオチで締められる。

その後、ものみの塔の決められた記事を質疑応答形式で45分ほど学ぶ。


と、こんな感じでした。

これだけで単純に1週間に聖書の勉強に5時間費やしてるんですよね。

質疑応答部分は予習が必要なので、予習時間も合わせると私の場合は8時間位になるかなって感じです。

幼少期は難しい質問も多いので母親と一緒に予習をしてましたが、母親もこの頃には妹を妊娠していて、更に家事もきっちりやらないと父親が怒るので(当時の父親は反対者でした)正直、予習もかなり雑だった感じがあります。


集会自体は結構好きでした。

エホバの証人って基本的は優しくて穏やかな方ばっかりなんですよね。

当時は歳の近い子も多かったし、お兄さんお姉さん世代もお父さんお母さん世代も多く、チビっこは無条件に可愛がられてました。

更に集会で注解(質疑応答の時に手を挙げて、発言する事)すると更に褒めてもらえるので、褒めてもらいたくて頑張ってた事もありました。

答えと言っても「エホバです」「イエスです」「楽園です」とかそんな単語だけど。


この時既に、私の頭の中では「注解すればいっぱい褒めてもらえる」とインプットされており、同年代の子達よりもいっぱい注解したい、もっと違う(大人みたいな)注解がしたい欲がありました。

そのおかげか、小学校入学前でしたが、かなり漢字が読めるようになっていました。

雑誌や本なんかは子供や年配者が読めるように作った物もあったけど、聖書だけはみんな同じなのでそこで漢字覚えたんでしょうね…。

小学校低学年の頃は「歩く国語辞典」って呼ばれてました。


私のいた会衆は本当に色んな年齢層の方が満遍なくいて、大家族みたいなイメージが強かったです。

実際に信者同士は「霊的家族」と読んでいますが、まさにそんな感じ。

特にうちは父が集会に行くのを嫌っていて、集会から帰ると良くて機嫌が悪い、酷いと酒の勢いで怒鳴り散らす事があったので、お父さん世代の兄弟達に甘えさせてもらっていたような気がします。


この時点ではまだエホバの証人に対する違和感は感じておらず、集会に行くのも伝道に行くのも当たり前と言う意識でした。

朝起きて歯磨きして顔洗ってご飯食べると同等の感覚でしたね。


次回は小学1年生の私と違和感、そして問題児について書こうと思います。

ここまで読んで下さりありがとうございます。

母がエホバの証人と言う宗教を知ったのは、私が2歳の頃でした。

元々、宗教に興味があり「神様はきっといる」と考えていた人で、私の名前(本名)の由来もその信条から来ています。

私が産まれてから母は子育てに色々な不安を抱えていたようで、私の成長、人格、将来はもちろん日本を含む世界情勢が日々悪化していくこの世の中で、どうやって子供を育てて行けば良いのか、かなり悩んでいたようです。


そんな時に母はエホバの証人の訪問を受けます。

6〜70代くらいのお婆ちゃん姉妹でした。

聖書に興味のあった母はお婆ちゃん姉妹の話をもっと聞きたいと思うようになり、聖書を学ぶ事にしました。

しかし、お婆ちゃん姉妹は高齢で家も若干遠かった為、次は自分の娘と孫を来させると言ったそうです。


そして、次の訪問の日。

お婆ちゃん姉妹の娘さん(A姉妹)と8歳の娘さん(Bちゃん)がやって来て、母に聖書やエホバについて色々と伝え始めました。

この時、母はBちゃんの行儀の良さに感銘を受けたそうです。

テーブルにお菓子を用意していたのですが、BちゃんはA姉妹が母に説明をしている間、一切ぐずる事も気を散らす事も無く、キチンとその場に座っており、ひと段落した際、母が再度お菓子を勧めると「お母さん、食べていい?」と確認。「夕ご飯があるから1つだけね」と言われ小さなお菓子を1つ手に取り「ありがとうございます。頂きます」と言って食べ、またキチンと静かに座っていたと。


母は私にもBちゃんのようになってほしいと思ったらしく、どう育てればBちゃんのようになれるのか、A姉妹に訪ねたのです。


これがきっかけとなり、母はA姉妹の研究生(月に数回信者が訪問し、聖書を教えてもらう人)となりました。


その後、母は順調に聖書を学びバプテスマを受け、正式なエホバの証人となるのですが、ここらへんは記憶にないので割愛。

私が小学校上がる前に既に姉妹と呼ばれていたはずなので、3年位でバプテスマ受けたんじゃないでしょうか。母が伝道者(玄関先で聖書おすすめしに行く人達の事)になったであろう頃には、背中におんぶされて3時間(当時は伝道時間が長かった)とか防寒対策してソリに乗せられて連れてかれた記憶がうっすらあります。




・母はただ純粋に私を良い子に育てる術を探していて、それが聖書であり、エホバの証人に辿りついた、って感じですね。

次回は幼少期の生活について書こうと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

ブログを見に来られた皆様、初めまして。

元エホバの証人2世で現在排斥者のラズベリーです。


このブログは私がエホバの証人時代だった頃に起きた出来事を記憶している限り順を追って書き綴って行こうと思います。


幼少時代、小中高校生時代、社会人になって排斥されるまで、排斥後の生活、実家を出た後の自分…


よくネットで流れている情報に似ている部分もありますが、時代の変化に伴う教えや考え方の変化や排斥後の周りの変化等出来る限り書いていこうと思います。


家族構成は

父(エホバの証人ではない)

母(29歳の時にエホバの証人に入信)

私と妹

の4人家族です。


※このブログを読むにあたって、皆様にお願いがあります※

・私個人に対する誹謗中傷はおやめ下さい

中には「こうすれば良かった、ああすれば良かった」と第三者視点で思う事もあると思いますが、一般人になった私もそう思います。

しかし、その当時はそれが出来なかった、言えなかったと言う家庭環境をご理解下さい。